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宮ノ上地下式横穴墓群を訪ねて(鹿屋市吾平町)

Rakunou1117_051_1   鹿屋市と合併した旧吾平町を代表する古墳を訪ねてみました。
 吾平町は日向神話の皇孫三代目ウガヤフキアエズ命の御陵(吾平山上陵)があることで知られていますが、同じ墓でも5世紀の頃こちらでは地下式古墳が盛んに造られました。隼人特有の墓と言われ地表には何の印もなく、発見される時の状況が「トラクターで畑を耕していたら、急にぽこっと穴が開いた」というのが多いようです。
 形状は1.5㍍ほど真直ぐに掘り下げたあと、今度は横に掘り進め玄室を形作るというもので、玄室の大きさはいろいろありますが、概ね遺体を横たえて少し余裕がある程度すなわち2メートル前後がほとんどです。副葬品は刀、壺などが主で装飾品などはまず出ることはありません。隼人=武人というイメージに近い様相Rakunou1117_046 ということが出来ます。
 ただどのような信念(?)で、あるいは観念でこのような地下式横穴墓を作り続けたのかについては確定されていません。一説では「大地を母の腹に見立て、その中にちょうど子宮の役割をする横穴(玄室)を造り、再生を願った」という大地母神的な信仰を考えています。また別には墓を暴かれるのを極度に嫌ったからとする説もあります。
 隣町の串良町岡崎古墳群では高塚(前方後円墳・円墳など)にもぐりこむような地中に地下式墳が発見されているので、また違った観点から見ることも出来るようです。
 吾平町のこの宮ノ下地下式横穴墓群は吾平小学校の校庭にあるプールの造成工事中に発見されました。その数十五基で集団墓の趣きがあります。小学校は旧吾平町役場と隣接する鵜戸神社の裏手、比高20メートルほどのシラス台地の突端にあり、眼下に吾平町内を、少し向こうには姶良川が流れ、遥か南には肝付三山の国見岳・黒尊岳・母養子岳を眺めることの出来る絶好の見晴らし台地にあります。子孫の地の繁栄と行く末を見守る墓域としては最高の土地でしょう。プールの時と同じように校庭全体を掘り下げたらまだまだたくさんの地下式墓が見つかりそうに思います。

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