ホホデミの御陵・高屋山上陵探訪
よく晴れた日曜。午前中はのんびり過ごし、午後から友人と以前行きそびれた高屋山上陵と言い習わされている国見岳(887m)へ登る。
登るといっても友人の住む肝付町(旧高山町)の中心から車で30分。ほとんど九合目と言っていい峠まで上がってしまい、あとは気象観測所のあるピークまで舗装道路が続いていて楽に歩ける道なのだ。
右の写真の正面が気象観測所のあるピークで、これはこれで眺めのよいところだが今日はそこには行かず、途中で右手に山道をとる。
その分岐までが約十五分。分岐点には「右へ国見岳・400m」の案内板がある。何とも楽なコース。
道は急に山らしくなる。踏み跡はしっかりしており、うっそうと繁る照葉樹林の中を行く。タブ、カシ、ユズリハなどの群生が見事だ。静寂そのものだが、時おりヒヨドリの叫びがしじまを破る。
十分ほどで国見岳の頂上。三角点があり、その脇に 杭が立てられていた。宮崎市から来た山好きが建てたらしい。国有林の中に勝手に建てたのか断っているのかは知らないが、あたりの木に記念に刻みを入れたり、石にスプレーで名を書いたりするよりはよっぽどましではある。だがご苦労なことだ。
ご苦労と言えば山頂にある石造の祠の方だろう。凝灰岩製の 高さ1m、奥行・幅ともに50cmほどのこの社を地元内之浦の青年団が運び上げたようで、見たところ優に百キロはありそうな代物である(昭和31年と刻まれていた)。
しかし心配は無用だった。祠は上の笠の部分、中の本体、下の基礎の部分に分けられる上に、一番重い本体は二つに分割できるようになっていたのだ。そうだろう。そうでなくては標高差八百㍍以上あるこの山頂まで急峻な山道を担いで登ることは不可能だったろう。
祠に手を合わせたあと、後ろを振り返り見下ろすと内之浦の町が霞んで見えた。その田んぼ地帯の中心には高屋神社があり、そこからはこの山頂を遥かに眺めることが出来る。ここが奥宮で、内之浦の高屋神社は里宮という関係になる。
「この山頂が天孫二代目のホホデミの御陵」というのが地元の伝承であり、同時に薩摩国学者の支持する説でもあった。だが明治7年の政府裁定で、御陵は霧島山麓の溝辺町の現・高屋山上陵に持って行かれてしまった。そもそもホホデミの御陵は古事記、日本書紀の記述に基づいている。古事記には「高千穂山の西」とあり、書紀には「日向高屋山上陵」とあるが、古事記の記録の方が具体性があるとされ、結局「霧島の高千穂の峰の西」だとして溝辺町の方に軍配が上がったというわけである(現・高屋山上陵の位置は実際には南西だが)。
確かに国見岳の山頂は石の祠を除いたら何の変哲も無い頂きに過ぎない。墳墓らしい石組みや巨岩があるわけではない。見晴らしも内之浦方面はよいが高山町や鹿屋方面は全く見えない。「国見」の名に恥じているのだ。それに比べて気象観測所のあるピークの眺望のすぐれていることよ。そこが国見岳であり山陵だと言われたら、本当だと思うかもしれない・・・。
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コメント
カミタクと申します。
拙ホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「高屋山上陵訪問記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKANA4.HTM
から貴記事にリンクを張りましたので、その旨報告いたします。リンク元で紹介しているのが国見山の方のものでなくて、申し訳ありませんがお許しいただきたくお願いいたします。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
投稿: カミタク(リンク先は「高屋山上陵訪問記」) | 2009年8月 8日 (土) 02時44分