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飯盛山古墳(志布志市)探訪

飯盛山古墳は志布志市の西端ダグリ岬にあったとされる前方後円墳で、昭和38年、当時はまだ地方自治体で国民宿舎が建設されていた時代に志布志の町営事業として造られた「ダグリ荘」の工事中に発見かつ破壊された知る人ぞ知る古墳である。

 一昨日は雨模様だったが、古墳は志布志湾に可愛らしく突き出た小さな岬の真ん中にShibushi_041 あり、しかもそこには今、「ダグリ荘」が「ボルベリア・ダグリ」という名で華麗に変身を遂げた上、温泉にも入れるという好条件に釣られて行ってみることにした。

 なるほど素晴らしい建物だ。以前の国民宿舎の時と比べると雲泥の差がある。中規模の民間のホテルといったたたずまいなのだ。外観を目で人撫でして、すぐに古墳の方に行く。

 行く!?・・・いや、行く必要は無いのだ。これなのだから。今見えている立派なホテル状の建物こそが古墳の主のための平成の追悼モニュメントなのだから・・・。駐車場のはずれに立つ説明板が無ければ、ここに全長80メートルの前方後円墳が造成されていたと気付く人はいないだろう。Shibushi_040

  説明板には「破壊し尽くした」とは書いていない。昭和38年では文化財保護という観念があいまいな時であったから仕方ないのかもしれないが、少なくとも墓室とその内部くらいの実測、副葬品のデータなどが残されていればよかったのにと残念でならない。

 とまれ、この古墳の外形だけは記録に残されている。『南九州古代遺跡の考察』(諏訪昭千代著)によると、墳長は80メートル(前方部43㍍・後円部37㍍)、後円部高さ4.5メートルあり、自然の丘陵を整形したもの。墳丘は葺き石で覆われ、その当時は前方部と後円部の北側斜面にまだ人頭大の丸い石が残っていたという。惜しむらくは石室の消失で、諏訪氏は当時何度も足を運んだが痕跡さえ見つけられず、ただ「つぼ型埴輪」「ガラス製勾玉」『ガラス製丸玉」の発掘を知らされただけという。Shibushi_046

  諏訪氏のように愕然としつつ、説明板から岬の先端にのびる遊歩道をたどり、古墳の後円部の南側に回ってみた。するとそこに「三等三角点」を見つけた。地図に記されている標高41.4㍍のことらしい。おそらく丁度ここが後円部の海に臨む先端だろう。ここから写真に見える宿舎に向かって小山のように築かれたのが、古墳の主の眠る丘だったのだ。罰当たりめ、という声が聞こえてきそうな気がした。これを位牌に見立ててしばし黙立していた。

 温泉は鹿児島の銭湯としてはちと高い500円だったが、大風呂からの志布志湾の眺めShibushi_031 は素晴らしい。サウナも普通の銭湯の2倍ほどの広さがある。風呂上りの休憩所もあり、ホテルだから土産物の売店も充実している。レストランもなかなかのものだ。何にも食べなかったがコーヒーを飲んで帰った。

 志布志は歴史上の見どころの多い町で、市内到るところに史跡があるのだが、西はずれのここだけはお目こぼししてしまったようだ。

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