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奇祭・熊野神社の鬼追い(末吉町)

 Ibusukisueyoshi_108_2 曽於市末吉町深川の熊野神社には、奈良時代から千二百年伝えられているという「鬼追い」という神事がある。

 昨日は朝から冷え込み、午後になっても寒かったが、意を決して行ってみることにした。45キロほどあり、1時間余りかかって到着したのが5時半。明るいうちに着いておけば、と早く着いたのはいいが、事前情報で6時半に始まると聞いていた肝心の「鬼追い」行事自体は8時頃になると言われてがっかり。寒さはどんどん募って行く。

 そこでひらめいたのが「温泉で時間調整」だった。メセナ温泉というのがあって以前一度入ったことがあった。市街地に戻り、案内板に従って走ること5キロ。正確にはメセナ交流センターという名の温泉は、入湯料300円でサウナもある本格派。しかも液体石鹸・シャンプー付きで、これは有難かった。タオルは車の窓拭き用ので何とか間に合わせた。

 十分に温まり、休憩室でウトウトしたあと、再び熊野神社へ。もう真っ暗だったが同じ道を忠実に引き返して、難なく到着。神社の手前で通行止めになっていたので、路帯に駐車して歩く。石段の所から灯りが煌々と点され、上がってみると丁度太鼓の演奏が終わったところだった。

Ibusukisueyoshi_102  少し待っていると、山側の暗がりから虚無僧が現れ、お伴を引き連れてそのまますたすたと拝殿前から下の鳥居へと降りていった。はて、神事に虚無僧とは、と首を傾げたが、あとで鳥居の脇にある鬼追いの由来説明板を読んで納得した。この行事は熊野神社の近くに古くからあった「光明寺」という寺に伝えられていたのだが、明治初期に鹿児島で徹底して行われた廃仏毀釈によって寺院が壊滅したあと、熊野神社の行事として引き継がれたという。

 Ibusukisueyoshi_106 虚無僧が通った後、この行事の保存会会長らしき人がマイクを持って説明をした。

 それによると、鬼は常日頃、人々の行動を観察しており、その 愚かさを笑っているそうだ。だが新年くらいは里にやって来て愚かな人間どもに福を授けてやろうと、ちと手荒いが人々を叩き回る。それが罪滅ぼしであり、その際に鬼が身にまとっている物(和紙で作った幣=シデ)をちぎりとって持ち帰れば福徳に恵まれる。

 大略、そんな話だった。

 そのあとすぐに「鬼」の出番となったが、この鬼たち三匹(三組)は写真のように、少しも鬼らしくない。三人で一組らしく、そのうちの一人がたくさんのシデを付けた被り物をかぶって、まずは一目散に、さっき虚無僧が歩いていった方に駆け降りて行く。酒を飲みに行くのだという。

 Ibusukisueyoshi_112 ややあっていよいよ鬼が待ち受ける人たちの間に乱入してくる。人々は鬼にこづかれながらも、逆に鬼たちを襲うかのようにまとわり付き、シデを引きちぎる。多い人は一抱えも手にしていた。鬼役もそれを承知でやっているようだ。ユーモラスでさえある。

 三組とも乱入した後、もうこれで終わりだろうと歩いてきた道を引き返していくと、そこに役目を終えた鬼たちが何やらひそひそ話をしているところに出くわした。「こんどあっち側を狙おう」とか何とか言いながら、休憩をかねて作戦会議という場面だったようだ。

 Ibusukisueyoshi_113

  おそらく被り物のシデが全部なくなってしまうまで、何度も走り回るのだろうが、カメラもつ手もかじかんできたので、帰ることにした。単純といえば単純素朴な行事である。だが単純だからこそ風習としては極く古いものであり、長く続くのではないかとも思われる。

 発祥といわれる「光明寺」はその名からして、聖武天皇の「金光明経」による国家仏教興隆政策のもとに建立された古い寺であることは想像されるが、この行事は光明寺起源というより、それ以前からの民俗的な風習がベースにあったのかも知れない。シデを被った姿は「鬼」というより「神」を連想するからだ。

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