ゼロ戦の掩体壕(えんたいごう)
いや、驚いた。
昭和を遥かに過ぎ、太平洋戦争にいたっては62年も前のことだというのに、その当時の生々しい構築物が、そのまま残っていたとは・・・。
戦時の最優秀戦闘機といえばご存知のゼロ戦。これの格納庫の変形といえる「掩体壕」の実物が、鹿屋の笠之原の広い畑の中にまだあったのだ。
いつもは気にも留めていなかったのだが、きのうに限って単車で走っている時、遠くの畑に目を遣った。すると牧草の繁っている広々とした畑地帯の中に、違和感のある物に気付いた。よく見るとトンネル状の、通常畑にはあるべからざる奇妙なかたまりである。急遽そこに向かって単車を走らせると、折りしも、耕運機を止めてそのかたまりの周りに生えた枯れ草に火をつける老人がいた。
声をかけて話を聞く。
案の定、戦時中の残骸だった。聞けば、ゼロ戦の「掩体壕」だという。「へえー」と驚くよりあきれた。昭和18年かその頃に、笠の原には海軍航空隊の飛行場と防空壕があったという。ところが20年の3月に空襲で壊滅的な打撃を受け、8つあった「掩体壕」だったが、結局、無事に残ったのがこのひとつだそうだ。
終戦後、軍人が去ったあと防空壕の中に入ると、きれいにくりぬかれた地下室の天井にその頃の一般家庭では珍しかった電球がずらりと並んでいたそうだ。それだけが印象に残っているという。
この「掩体壕」から300メートルほど北にその防空壕があり、今でもコンクリート製の頑丈な入り口(出口)が笠の原航空隊跡地という説明版と共に建っている。
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