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裏桜島

 桜島は鹿児島市への通り道で、年に何回かは通るが、いつも島の南側・古里温泉のあるメインルートしか通ったことがなかった。04280001

 今日は市内で歴史研究会があり、発表することになっていたので出かけたが、今回は早めに出ていつもと違う反対側を通ってみることにした。

 と言ってもこのルート、途中までは3回ほど来ていた。垂水から桜島に渡って左折ではなく右折をする。国分・霧島方面へ向かうわけだが、300メートルほどいくと左へ入る道がある。それが裏桜島への道で、5キロほど行くと有名な「埋没鳥居」がある。ここを見に来たことがかってあったのだ。04280006

 それは黒髪という集落にある「腹五社神社」の石の鳥居だが、高さ3.3メートルあった鳥居が、大正3年の大噴火によって、上60センチほどを残すだけに埋もれてしまった。当時の村長の英断で惨状の生き証人としてこれをそのまま残したのだという。

 集落680戸が全滅したというからすさまじい。それでも死者はそれほど出ていない。全島でも200人足らずの被害で、それも火山灰に埋もれたからというわけではなく、船で逃げる際に転覆したというケースがほとんどらしい。

 神社はこの奥にちゃんと鎮座していた。04280008

 祭神はニニギノミコト、ホホデミノミコト、ウガヤフキアエズノ命、それにそれぞれの后(コノハナサクヤヒメ、トヨタマヒメ、タマヨリヒメ)が祭られている、。いわゆる天孫三代である。桜島には五社神社がもうひとつあり、祭神も同じだ。

 他に大社としては「月読神社」がある。これはまさに隼人のいつき祭るものだと聞いている。京都田辺の月読神社との関係が取りざたされているようだ。

 桜島でしか見られないのが海岸にせり出した溶岩の割れ目(?)を利用した港である。04280010

 上から見ると溶岩はみどりで覆われ、その真ん中にマリンブルーの船溜りが見える。まるで池のようだ。外海には養殖生簀が多数見える。

 かっては一本釣りか刺し網漁の基地だったのだろうが、今は時勢がらハマチ、ブリの養殖が盛んになったので、それ用の船の基地になっている。

 04280019_2 用事を済ませたあと、再びフェリーで桜島に戻り、裏桜島の「白浜温泉センター」に入って帰った。行く途中、赤生原(あこうばる)地区の海岸からは鹿児島市の北、吉野台地に沈む夕日が海を照らしていた。

 いまこの海峡に橋を掛けようという気運がある。確かに経済効果はあるだろう。だが60万都市の前からすぐにフェリーに乗れ、15分もあれば島に渡れるし、船は海と島に似合う。観光資源はむしろそちらにあろう。スローライフの時代だ。多少の不便は忍ぼう。

 

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