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姶良川流域散策(その5)

                吾平Kaminoiriguti_001 山陵入口への道を左に見て、今度はまっすぐ上に向かう。

 300メートルほどでなだらかな丘陵地帯に入る、急に視界が開け、左手には甫余志岳を中心とする国見三山が望まれる。

 あたり一面は畑で、サツマイモと飼料作物が植えられているが、そんな畑の一角、道路際に白く塗られた木製の道しるべのようなものがあった。Kaminoiriguti_013

 よく見ると道しるべではなく、「早馬(はやうま)の馬場跡」と書いてある。

 農村の昔の娯楽としての草競馬の跡地だという。おそらく30数年前のいわゆる「高度経済成長期」のその前まではあったのではないか。高度成長は日本の農村という農村から人を都会に向かわせ、その伝統は絶えて久しい。

 かってはそんな人々の仕送りが村を潤したこともあったが、それももう夢のような話だ。総務大臣が「ふるさと納税」構想を打ち出したというが、金よりも江戸時代の「人帰しの法(帰農令)」でも出したほうがいい。

Kaminoiriguti_004  

 早馬の馬場跡を過ぎて、ちょうど1キロで横井坂という分岐だ。これを右手にとれば姶良川支流・菅野川に至り、それをさかのぼっていくと錦江町の高原地帯を越えて道は佐多まで通じている。

 さて、姶良川は一気に山間に入る。横井坂の分岐から300メートルほどで「市之渡橋」を渡る。いよいよ神野地区だ。

 神野はウガヤフキアエズとタマヨリヒメとの間に生まれた皇孫トヨミケヌ(後の神武天皇)の后になったアイラツヒメの古里だという。それにしてはひなび過ぎてはいないか、と心配になるほどの「隠れ里」である。過疎化が進んでいるので、なお一層そう感じるのかもしれないが・・・・・。

 Kaminoiriguti_006 市之渡から川向こうに細長く水田が広がりだした。畦を刈る人の姿なんかがちらほら見える。長閑な心安らぐ風景に目を奪われながら少し行ったとき、あっと驚いた。川の中にコンクリートで橋、いや「道路」が敷かれているのだ。

 田んぼに水が取られているのと、ここのところの晴天で水量が少ないせいだろう、「川中道路」が完全にむき出しになっている。Kaminoiriguti_007_1川 向こうの田んぼに通うための道路だ。

 四万十川の中流に、水量の少ない時は通れるが、水量が多くなると橋が冠水して通行止めになる、という橋があるのをテレビで見たような記憶があるが、同じようなものか。――ただし、こちらは「道路」だが。何にしても珍しいものがあったものだ。

 Kaminoiriguti_009 感心しつつなおも行くと神野地区の中心が見えてきた。吾平富士(中岳)が相変わらず秀麗な山容をほこり、左手には地域のアイデンティティ・神野小学校が清流のほとりに建っているのが見える。

  鹿屋市吾平町神野地区の地図はこちらで(マピオン

 

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