秀村選三先生が到来
いや、驚いたのなんの!
今朝、史談会の用件で肝付町のT先生に電話をし、話が済むころになってT先生いわく「実はね、午後、福岡の秀村先生が資料館にお見えになるんでね」 私「ええっ!あの先生がっ!」 T先生「そうそう、何でも資料館にあるものを写真にとって、学士院賞の授賞式の時、陛下に御覧にいれるそうで」 私「い、行きます!」
午後になるのが待ち遠しく、昼飯を済ませるとあたふたと肝付町立歴史資料館に向かった。一時間ほどして到着された。聞けばきのう鹿児島入りし、黎明館にある資料の貸し出しを依頼されたと言い、今日はここの資料を借り受け、東京の学士院に送られるという。
研二さんという二男の方が同道されていた。この人はやはり大学の先生で、朝鮮半島の民俗の研究者という。資料館の展示物のうち、農業関係の古道具類を盛んに写真に収めていた。
秀村先生の業績は「薩摩藩の大隅国高山郷の郷士・守屋家に伝わる古文書を解読し、幕末期の在地構造を主に農業経済とのかかわりにおいて克明にとらえ尽くした」と言うものであるらしい。『守屋舎人(もりやとねり)日帳』という表題で出版しているが、全十一巻という膨大なものである。
御年84歳という御高齢だが、身のこなしは軽やかだ。
館長に案内されて見て回るときも、メモを欠かすことがない。
学士院での授賞式のあと、天皇に直々に受賞内容を説明されるそうで、取りこぼしがあってはならぬよう今から細心を心がけておられるのだろう。
高山郷をどのように紹介されるのか、楽しみである。
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コメント
それでね。学士院賞の受賞式の日の午後、宮中で天皇、皇后両陛下から学士院長、同幹事、私たち受賞者二名への「賜茶」(軽いフランス料理)の席で陛下が「なぜ高山を研究したのか」とおたずねになりましたので、日本の西南辺境地域の郷村の典型として高山を選んだことをお話し、さらに親友の弔いと思って高山の隣りの鹿屋の特攻基地と林市造と『母
への遺書』をお話しました。
http://www.kyushu-u.ac.jp/magazine/kyudai-koho/No.53/No53_17_22.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%80%E6%9D%91%E9%81%B8%E4%B8%89
「丁寧にあつかましく」「運・鈍・根」。鈍でも長続きすれば事は成る」
面白かったです。
投稿: わん | 2010年5月13日 (木) 15時13分