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紫陽花

 一昨日、鹿児島は梅雨入りしたそうだ。

 一週間前からボツボツ咲き始めた紫陽花、と言ってもガク紫陽花だが、曇天の空の下がやはり似合う。Ajisai_002

 いま家で咲いているのは、パンジー、グラジオラス、何とか菊(ハーブの一種らしく香りがよい)、それに春菊もあったが余りにほこりすぎていたので刈り取った。どれも咲き終わり状態だ。

 紫陽花がそれを埋めてくれるのか、いや、ちょっと役者が違う。おとなしすぎる・・・か。

 さて昨日で姶良川の散策が終了した。初めての試みでうまく流域の状況が伝えられたか心もとないが、何度も通っていると故郷に戻っていくような感覚になり、愛着を感じるようになる。筆者の古里は東京だが・・・。

 姶良(あいら)という地名は相当に古い。8世紀の末、ちょうど平安京遷都の年(794)に撰修された『続日本紀』の中に大隅国建国の記事として「日向国から大隅・曽於・肝杯・姶羅の四郡を割いて新たに大隅国とする」(和銅六=713年)とある。

 このうち大隅、曽於、肝坏は現在でも大きな地名として使われているが、姶羅の方は吾平地区として鹿屋市の一地域になってしまった。もとは姶羅郡の中に鹿屋郷が入っていたので、まさに逆転したことになる。

 そんな歴史を振り返ると、文字通り「今昔の感に堪え得ない」ということになるが、最近の世相にも同様の事を感じることが多い。

 五十有余年生きてきて、最も今昔の感にたえ得ないのが「女性の社会進出」だろうか。大学は出るは、車は運転するは、海外旅行はするは・・・・・で、子供の頃の情景からするとそれが一番変わった点ではなかろうか。

 子供の頃、街の辻辻には、もちろん子供たちの遊ぶ姿が沢山あったが、それに負けず劣らず割烹着姿の母親たちが歩いていた記憶が残る。買い物、用足しが主な目的だったろうが、子供の風景と母親たちの風景とがどこかダブり、調和していたように思う。

 それが・・・・・。子供たちが辻々から消え去ったのと、母親たちが街角からいなくなったのとどっちが先か。子供は託児所へ保育園へ子供部屋へ。母親は仕事へキャリアアップへ。二者択一ではなく、二者両択。それでも子供はやはり子供、両択なんか分からない。

 たしかシャンソンにこんな詞があった。

  「最も美しい子供。それは、まだ一度も大人になったことのない子供」

 早く大人にする必要はない。乳児には乳児の、幼児には幼児の、少年には少年のステージというものがある。小学校を終えなければ中学校へ、中学校を終えなければ高校へ、高校を終えなければ大学へは行けないのと同じだ。

 トヨタマヒメはウガヤ皇子を生み捨てて海に帰ってしまった。でも妹のタマヨリヒメが代わりに育ててくれた、乳も出ないのに・・・。「赤ちゃんポスト」の走りみたいだが、叔母ということでウガヤ皇子もそう違和感は感じなかったろう。神話だから史実とは受け取れないが、無きにしも非ずではないか。

 紫陽花にタマヨリヒメを重ねてみる。今の世にもタマヨリヒメはいるだろうか。

 まだいるような気がする。

 

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