水守り
吾平町の田んぼ地帯に行こうかと思って、姶良川沿いを単車で走っていると、土手の草 を焼いている所に出くわした。
70代後半だろうか、しきりに草を集めては小さな焚き火状に3,4ヶ所に分けて燃やしているおじさんがいた。
声をかけて、米の収穫時期を聞いた。すると「 早い人で来月の2日か3日、遅くてもお盆の前には」とのこと。
それより驚いたのは、おじさんはこの水門の水守りだということだ。十年近く前、その頃作っていた自分の田のある地区の水守り(地区の用水の管理)を一年やったことがあったが、ここのは大きな川の大きな水門の管理だ。
「この前の4号台風のときは、土手をあと4メートルで越えるというところまで水が上がってきてなア」とおじさん。その日(14日)は午後四時に水門を締め切ったそうだ。
おじさんの田が、水門のすぐ下にあった。
一枚だが20アール(600坪=約2000㎡)もある。用水路の川への出口が水門だから、締め切ったために排出できない水があふれ、この田の稲は穂の上十センチまで水に浸かったという。それでも浸かる時間が短かったのと、米がすでに硬く熟していたため、穂腐れにはならずに済んだそうだ。
「管理棟に入ってみらんな」 というので、中を覗かせてもらった。
おじさんが手にしているのはエンジンを使わずに水門を上げ下げする部分。おじさんの麦わら帽子の先に見えるジーゼルエンジンが不調の時のためのやり方で、普通はエンジンで、帽子のつばの上に伸びている黄色い色の着いた昇降器を上下させる。
「昔は、建屋が無くて、ジーゼルエンジンのカバーがあっただけ。台風の時など、そりゃ大変じゃった。こけ来るのに軽トラでは風でひっくり返さるっで、歩いてくるんじゃが、それでも飛ばされそうになり、土手に生えている葦につかまりながら這って来たもんじゃった」
もう30年近く水守りをしていると言う。手当は月に一万だそうだ。
「台風の時は、子供たちがわっぜえ心配すっとお」
用水路の排水と川からの逆流とのせめぎあい。それを見極めた上で、いつ水門を閉めるかがベテランの勘所だ。
井神さんといった。ふむ、井戸の神様・・・。
どうやら水とは縁がありそうな名前だ。
暑い中、水門整備に精を出す隠れた米作り協力隊といったところか。きばいやんせ!
水門管理棟の窓から姶良川の上流を望む
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