今、塚崎古墳が面白い
国指定史跡「塚崎古墳群」のある塚崎台地上に建つ肝付町立歴史民俗資料館で『古墳に眠る肝属の王―塚崎古墳群の時代―』展が開かれている。
肝付町教育委員会と鹿児島大学総合研究博物館の共催で、7月12日から9月10日まで休館なしの公開である。
初日にも行ったが、再び訪れ、館長のK氏にもお会いしていろいろ話を伺った。
ここ数年、肝付町を含む志布志湾沿岸地域で貴重な考古資料が発掘され続けているという。
鹿児島大学研究博物館の橋本 達也准教授によると小規模 な古墳の割には、副葬されている初期須恵器類の大きさや組み合わせが他に例を見ないらしい。
玄関を入った最も目立つ所に並べられているのは二つの須恵器の甕で、これが同じ古墳の南側に展示のように並んで発掘されたが、このような例は全国でも稀だという(どちらも高さ、幅ともに40センチくらい)。
肝属川を挟んで塚崎台地とは反対側の串良町岡崎台地でも同様の初期須恵器が見つかったが、高さ80センチほど、胴の幅70センチもある巨大な物だった。
右の写真は二つの須恵器甕が並んで発掘された31号墳だが、現状は芋畑で比高せいぜい1メートルほどの円墳にしか見えない。だが、須恵器はカメラを構えた足元辺りで見つかっているので、埋葬の当時は少なくとも直径20メートルはあっただろう。もちろん高さも4,5メートルはなくてはなるまい。
明治以降の営利畑作農業への移行と、戦後開拓(開墾)のために相当に削られ均されてしまったという。
右は資料館に近い19号墳と20号墳で、手前の20号墳から19号墳を見たところだが、間に広がる芋畑の手前にはげた部分が見える。今回、そこの土の下に石棺があることが分かった。
墳丘など全くない場所なので、首を傾げられている。石棺がある以上、地下式墳とも土こう(土編に広の旧字)とも考えられず、ちょっとしたミステリーである。
近隣では串良町の岡崎古墳群、大崎町の神領古墳群で次々に新発見があった。
中でも神領10号墳から出土した「武人埴輪」は、その出色の出来栄えで他に例を見ない。志布志湾岸は古代史以前の歴史解明に大きな役割を果たすかもしれない。
※掲載の写真はすべてクリックすると拡大します
マップ(塚崎台地=資料館配布の物より転載)
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