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串良川流域散策(その2)

Kushiragawa2_003  串良町の中心に架かる新しい豊栄橋から7~800㍍で、国道220号線に架かる「串良橋」だ。

 さすがに大隅半島横断路線らしく、土手からは車がひっきりなしに通過するのが見える。

 川はこのあたりから、串良川が切り開いた(開析した)大塚原田んぼ(東隣りの東串良町から見れば岩弘田んぼ)に入る。Kushiragawa2_004

 串良橋からほんの200㍍上流に架かる「小間瀬橋」のたもとから、その広大な田んぼ地帯を望むと、特徴がよく分かる。

 左右の小高い丘がシラス台地で、串良川が真ん中の白い標識の奥の辺りから流れ下って、洪水のたびに右に流れ、左に流れしてシラスの台地を削り、遂に広々とした平野を造りだしたのだ。Kushiragawa2_006

 小間瀬橋から左岸を上って行くと、800㍍で堰を見る。「昭和堰」だ。現在、水田は早期はすでに刈り取り、普通作ももう穂が出ていて湛水の必要がないため、取水口は開けられていて水が勢いよく流れ下っている。

 白サギと青サギが何羽か、仲良く堰のコンクリートに止まって川の中を覗き込んでいた。

Kushiragawa2_009  そこから500㍍ほどで「大塚原前橋」だ。ここからは串良町側のシラス台地の展望台「大塚山」がすぐそこに見える。

 高さは108mと低いが、標高50㍍ほどののっぺりとした台地にとっては、目立つ存在だ。頂上には最近建てられたばかりのNTTの無線中継塔が見える。

Kushiragawa2_011 1キロ余りで「十五社橋」に着く。

 橋から西(串良町側)を望むと、小さく赤い鳥居が見えるが、そこが十五社神社(後述)で、橋の名はそれから来ている。

 橋の一直線上の先の崖が白いが、あれはシラスである。

橋の少し上流の左岸から東(東串良町側)を見ると、あたかも崖にコンクリートを吹き付けたかのような、異様に切り立った崖が目に入る。これもシラスだ。Kushiragawa2_014

 ここのは事業としてシラスを採取している。家畜舎の床敷き用に、また道路工事の路床の基礎材としても多く使われている。それにしても急傾斜だ。シラス特有の不思議な粘着力のため、あんなに切り立っていても持つのだという。川の削り取った跡が急な崖の理由もこれだろう。Kushiragawa2_016

 十五社橋から1800㍍ほどで、この大塚原田んぼ地帯の最上流部に架かる「林田橋」に着く。ここまで串良町中心の豊栄橋から約5,5キロ。標高差は7㍍だ。

 林田橋の200㍍上流には「林田堰」がある。

 林田堰によって潤される田は400ヘクタールを超え、下流にあった昭和堰とあわせると600ヘクタール以上、Kushiragawa2_020 まさに串良川流域田園地帯の心臓部だ。

 ここでももう田んぼへの通水は終えており、本来の流れが轟々と音を立てていた。

この上は急に谷間が狭くなっている。これを仮に「林田地峡」と名付けておくが、今回はその地峡をくぐらずに、Uターンして西(串良町)の崖沿いに走る県道を戻った。Kushiragawa2_022

林田橋を右岸に渡り、県道を約500㍍下ると、大隅交通の「中野バス停」がある。そのすぐ手前の右への道に入る。そこは中野集落だが、道はほぼ真っ直ぐに続き、500㍍で左に折れる。そうしたらほんの10㍍ですぐに右手に細い道がある。その奥が「中野観音洞」だ。

 洞穴(ガマ)の入口に観音堂と古い水神らしき祠が建っている。左手には大きな地蔵さん(?)も建つ。Kushiragawa2_025

結構遠くからの参拝客があるらしい。何のご利益かは分からないが、衆生済度ならみんなに平等だ。

 それより、ガマへ上がる小さな橋の右手の崖下から流れてくる水の多いのには驚く。シラス台地下によくある湧水だが、ここのは惜し気もなく湧き出している。これこそ観音のご利益だろう。Kushiragawa2_028

 仏教の次は、神道。中野バス停に戻って、県道を1,5キロ下ると赤い鳥居が道路に面して建つ。そこは「十五社神社」だ(写真は神社から串良川方面を見たところ)。

 物部守屋が聖徳太子と蘇我馬子の連合軍に敗れたあと、ひそかに大隅へ落ちのび、その後裔が綿々と続いた。最後は肝付氏の阿多移封後も高山郷に残り、神官として重きをなした「守屋家」となるが、その何十代か前Kushiragawa2_043 の先祖がこの地で祖神を祭っていたという由緒を持つ。

 さて、大塚原田んぼ地帯の最下流の小高い丘の上には「月読神社」が鎮座する。これも物部守屋の後裔が祭ったと言うが、この丘はどう見ても古墳だ。隼人時代つまり投馬国時代の王者の墓にふさわしい高台の一等地ではないだろうか。

 Kushiragawa2_033

 月読神社まで下ったが、そこからUターンすること500㍍、大塚原公民館を見てすぐ左へ上がる道がある。これを登り切ると、右手が大塚山公園入口だ。

 円を描くようにして登ると、頂上に着く。大きなクスなどが生え、意外に広い山頂だ。

きれいな和風トイレの方(南側)に展望所があったのでいってみると素晴らしい風景が待っていた。 Kushiragawa2_034_2 串良川つまり東を見下ろすと、串良川の造りだした大塚原(岩弘)田んぼはもとより、その向こう側の台地のはるか先に志布志湾が広がり、真ん中には何とビロウ島が浮かんでいたのだ。

 また、展望所とは逆の西側の高みからは、鹿屋のバラ園のある「霧島が丘」の低いなだらかな一続きの向こうに、開聞岳がその優美な山容を現していた(クリックで確認)。

  マップー①(赤い十字は大塚山。緑の矢印は十五社神社)

Mapkushiragawa21

 

 

 マップー②(赤い十字は十五社橋。緑の矢印は林田橋)

鹿屋市のスクロール地図はこちら

Mapkushiragawa22

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コメント

怨讐を超えて現代の「歌垣」交流を!

昭和20~30年代初頭の頃串良川中流の昭和井関で日永泳いだり鮎とりなどして遊んだものです。
当時この串良川を挟んで歌われていた歌。「ヒガイ(東)ノ学校ハ鍋学校、鍋ヲ叩ケバ・・・」と囃子たて(注当時学校は鐘を鳴らしていた)、家の姉など向かいから石を投げられ頭から血を流したことも・・・

明治初頭から串良川の水利を廻って東西争いが絶えずとうとう東西串良分裂に至っているが、
かって古代にはこの川を挟んで「歌垣」が交され若者の恋の花も咲いたであろう。
そう云えばこういう歌もあった、「タンタン田圃の真ん中で、綺麗ナ○ちゃん小便し、そーれを見つけた××は、猿股脱いで特攻隊!」
こういう野生的で素朴、豊かな感性あふれる東西交流はもう望めないのだろうか?

東串良町を置き去りにして目先の経済利害に迷い鹿屋市と合併してしまった串良町の処断は残念でならない。
いつの日か有能な人材が現われ怨讐を超えて合併させてほしいもの。
串良川の上流から下流両岸に櫻並木の遊歩路を作るべし!


投稿: 隅南風人 | 2010年8月 8日 (日) 04時08分

上記に「串良川の上流から下流両岸に櫻並木の遊歩路を作るべし!」と書いたに追加提案・

「串良川両岸歌垣合戦大会」イベント企画開催を!
筑波山の歌垣故事に倣い、年一回両岸に男女若者が集い、
一方より地元弁の5、7、5の大音声で上の句を投げ掛け、それを対岸側異性が即興で受けて応え出来栄えを両岸参加者の囃し振りで採点。
最高得点男女はその年の「良かニセ、良かお御女」として表彰
普通弁コースも設ければ全国から未婚の男女が集う大イベントに発展するかも!
               
ついでに一大放言・・・・大隅一円「日の本市」へ大合併を!!!
アインシュタインや韓国人日本文化研究者王善花(オウソンファ)女史も唱えて曰く、「日本の縄文文化が世界を救う」!
その日本文化発祥源流地は我が大隅の地なり!大隅とは住むに大いなる地「大住」の意!依って、「日の本の地」なり!!
我が郷里は、九州、否日本、否世界の中心として一大発展の可能性を秘めている!!
鹿屋市長よ、小マンカコチ拘ラジ壮大な夢を語れ!!
   1つ、   「世界文化研究国際大学」の設立誘致を!
   1つ、   「地球農業研究大学」の設立誘致を!
          (火山灰大地や台風などにめげない大地の恵み豊かさに目覚めよ!)
   1つ、   「国際宇宙研究所」の設立誘致を!
          (種子島や内之浦などの僻地よりも、半島南部山岳丘陵地を開拓開放して一大ロケット発射基地を造れ!)

   追加、  自前の軍整備まで米軍駐留必要はセイゼイ20~50年(その内米国衰亡は必定)..
故に薩摩藩の非礼を詫びる意でも沖縄米軍基地の移転受け入れの度量を示せ!
以上 文責 南風人


投稿: 隅南風人 | 2010年8月 9日 (月) 20時26分

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