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またかァ(子供はつらいよ)

 今年に入って異常に目立つ、両親へあるいは親族への殺傷行為。

 つい一昨日の日曜日にも祖父を殺害して逃げ、今朝の報道では東京の秋葉原で捕まったという少年がいた。

 報道によれば「父親が医者、母親が歯科医」という超エリート家庭の二男だという。といって、こういう家庭でも殺人事件(加害者側だろうと、被害者側だろうと)とは全く無縁でないのは、どこの家庭とも同じだ。

 そうであるにしても、今年の冬は歯科医の息子が妹を殺害し、医者の息子が母親と二人の弟妹を道づれに放火して殺害している。そういうのを見ると、いったいどうなっているのかと息を呑む思いがする。

 「医者は人助けの仕事なのに、その息子が・・・」というような先入観的な見方はとるまい。医者の子もまずは普通の子として生まれてくるのだ。問題はその後の育て方にある。といって、医者の子だから子供も医者に、という育て方は一見すじが通っているようで大人の側の勝手な思い込みに過ぎない。つまりそこには肝心の子供の側の視点がほとんど欠落している。

 むしろ子供にとって、医者とは常に人から「先生」と呼ばれるゆえ、両親のどちらかでも「先生」であると、子供時代が大変なのだ。何故なら、先生の子だと「成績がよくて当たり前、品行もよくて当たり前」で、ある意味で生まれながらにして学校生活上、プレッシャーがかかりっ放しなのだ。先生の子はつらいよ――と言われるゆえんである。

 両親は、子供の立場に立ってそこの所を十分斟酌するべきなのに、先生(医者)である自分の子がこんな成績でよいものか、と逆にプレッシャーの上塗りをしてし、窮地に立たせてしまったのではないか(今度の事件の場合は祖父だったが)。

 先生の子であることで「成績がよくなくてはならぬ」と、すでに自らにプレッシャーをかけ続けている子供は、成績が下がったりした場合、すぐに強い自己処罰的感情に陥るはずだ。その際、親はむしろ慰めこそすれ決して叱ってはならない。その時、叱られなかった子供はどんなにかうれしいだろう。次回こそ、自分を慰め、ゆるしてくれた親に報いようと懸命に努力するに違いない。

 次回にたとえ目に見えて成績が上がらなくても、親はぐっとこらえ「よくやった」と言ってやればいい。次々回はさらに頑張るだろう。そしていずれは・・・・・。子育てとはこれの繰り返しだろう。

 かくのごとく、親は子供に安心感を与え、幸せ感を与えることに熱中すればよい。そこには金は一銭もいらない。文字通り、お安い御用だ。余りにも安すぎて歯牙にもかけない親が多いのは残念である。子供は認められること・褒められることでまず心が伸びやかになり、結果としていろいろなものが伸びてゆくものだ――たとえ親の思い通りにはならないにしても。

 

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