肝属川流域散策(その5)
国道220号線のバイパスに架かる鹿屋大橋から北方面を眺める。
川は左へ大きく迂回し、右手の左岸地帯に田んぼが広がる。そこは西祓川地区だ。流域には珍しくゆるい段丘になっている。
高隈街道は右奥の山すそを走り、中央上に見える真っ白い池田病院の向こう側から丘を越えて次の大園地区に入る。
川のほうは、池田病院の左手のこんもりとした丘の下を回り込んでいるので、 病院の先、200㍍余りを左へ折れ、橋を渡って右岸に渡る。すぐ右折すると車も滅多に通らないうっそうとした樹林帯に入る。
ほんの僅かで「外園橋」が右手に見えるので行ってみる。
上流は見ての通り地峡になっている。川はこの先右へ大きく迂回し、この橋を渡った地区は川に突き出た袋状になっている。
右岸沿いの約500メートルの道は樹林のため昼なお暗い。右手には時おり清流が姿を見せる。ウォーキングには絶好のルートだろう。沢水の音が聞こえると、井堰が目に入る。手前と奥からとダブルの井堰だ。西祓川一帯の田んぼに水を供給している。
井堰の向かい側には「長谷観音堂」がある。奈良の長谷寺の十一面観音信仰の流れを汲むもので、16世紀初頭の銘入りの観音菩薩立像があるというが、確認はできなかった。
それより、ここはまた「長谷城址」でもある。長谷城を建造したのは富山(とみやま)氏で弁済使として入部し、城は13世紀の初めごろ造ったらしい。富山氏は平安末期から鎌倉初期にかけて大隈南部では肝付氏に並んで勢力を振るい、子孫は大姶良氏、獅子目氏、横山氏というように大姶良川流域に展開している。
面白いのは本堂手前に建つ手水鉢である。刻銘によると明治の頃、指宿村岩本の女性が病気療養のため縁故を頼ってこの地区にやってきて、見事に2ヶ月ほどで回復した。その御礼に手水鉢を寄進したという。
また本堂の右手には「古石塔群」があるが、この作り(技法)を調べることで富山氏の進出が裏付けられた。これらは供養塔の一種である「逆修塔」で、その双輪文様によって富山氏のものと判定された。
観音堂から約200㍍で高隈街道に出る。右へやや戻ると街道にかかる橋があるが、そこから上流側にはもうひとつの優美な石橋「大園橋」が架かっている。
明治37年竣工のこの橋は、鹿児島の伊敷石工を招いて造らせたという。よく見ると「ピンク石」だ。串良川の北原地区でピンク石が採れたが、もしかしたらあの石かもしれない。
車は通ることはできないが、人間なら今でも通ることが可能だ。
ここからわずかで右へ入る道がある。笠野原台地へと上っていく道だが、橋を渡り、いよいよ上り道というところで左折する。すると直に肝属川左岸の結構広い田んぼ地帯だ。南北1キロ余り、平均の幅(東西)0.5キロの「ウツ(宇都)」状の河谷に開けた祓川地区である。
いよいよ田んぼ地帯に入るというところで、思わず息を呑む。架け干しだ、しかも木製の馬(立て棒)じゃないか。いまどき木製は珍しく、多くはアルミ製か何かの金属棒を使うようになったのだが。
彼岸花もいい、背景の山もいい、ついでにせっせと架けている婆さんたちもいい。写真を撮らせてと頼む。―あら、よう・・・。 後ろを向かれてしまった。よくあることだ。
帰り際にこう言った。―そういや、こん前も、誰かが写しっきちょった。なんだ慣れているんじゃん、と言いたかった。
まあ、そうだろう。こんな懐かしい光景は一年にいっぺんしか見られないから・・・。
おばさんたちの田んぼからさらに北へ500㍍、秋の里山風景を満喫しつつ行くと、ああ、今年も来てしまった。小さな丘が目に入る。上にちょこんと乗った田の神が、おいでおいでをしている。
で、今年も登って(比高2.5m)、はいこんにちわでパチリ。
高さは30センチほどのベビー田の神。今年はより一層、首をかしげているように見える。笑っているのだろう。台風もなく、高温のままだったから豊作万々歳!だ。
それにしても、あたり一面平らな水田の中に取り残されたような小丘は、古墳の名残りか。近くの人に聞いても―分からん、と言うが、不思議な光景だ。
そこを過ぎて祓川の田んぼ地帯が終わりに近づく頃、向こうの二つの丘がせり出してきてぶつかりそうに見えるのに気づく。「祓川地峡」だ。
一番狭いところは、川幅のほかには高隈街道だけがやっと通り抜ける程度。50メートルあるかないかで、誰が見ても「狭い!」と驚く。あの向こうはかなりの年代、池か沼だったろう。
橋を過ぎるとまもなく高隈街道に出る。そこは祓川小学校のところだ。まず目に入るのが校庭の真ん中に堂々とそびえる木。栴檀の古木である。
学校全体が緑に覆われているような学校だ。
栴檀や 緑したたる 過疎の校
マップ(赤い十字は長谷観音堂。矢印は大園橋)
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