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串良川流域散策(その5)

 今回は、谷田橋を渡って左折し、串良川左岸沿いの道から始めた。Kushiragawa5_002

 農道を行くと周りは右岸と同じく、やはり広い田んぼ地帯だ。遠くに前回行った「観音渕」の後に迫る丘が、丸く盛り上がって見える。川がそこに突き当たって左折している所だ。

 真っ直ぐの農道を行き、右手からの市道を併せると100㍍余りで柚木原(ゆのきはら)バス停がある。停留所でバスを待っているおばさんに、「柚木原の六地蔵」のある場所を聞くと、すぐ裏手にある墓地の中だと言う。

 バス停の所を右折するとすぐ登り道だ。それを50㍍足らずでKushiragawa5_003_2右手に入る細道がある。

 入った右手はゲートボール場で、その先にもう墓石が見えている。 六地蔵は墓地の左手に 立っていた。刻まれた銘文によると建立は天文4(1535)年である。鹿屋市の六地蔵の中では最も古いという。 

 加工しやすい凝灰岩製で、かなり痛んではいるものの、文字通り風雪に耐えた貴重なものだ。釈迦入滅後、次に弥勒菩薩が降臨するまでの間、衆生を救うために現れたという地蔵菩薩。笠の下は六角形で、六面に六道それぞれを教化するという六体の地蔵さんが彫られているのがよく分かる。Kushiragawa5_004

 柚木原(ゆのきはら)は今の道をさらに登っていった細長い谷間の集落だが、さっきのバス停まで下り、元の道を上がることにする。すると100㍍余りで地峡を通過する。「柚木原地峡」と名付けておく。谷田田んぼ地帯と高隈田んぼ地帯を分ける地峡だ。川遊びには持って来いの場所で、二昔前くらいは子供等の絶好の遊び場だったろう。

 高隈の田んぼ地帯に入ると、新学期前の一斉清掃があったのだろうか、どの田んぼも畦がきれいに刈られていて、見るからに清々しい。Kushiragawa5_005

どの穂も垂れ始めている。あと一ヶ月ほどで刈り取りになるはずだ。今年の普通作は、7月下旬からの高温と日照のおかげで豊作間違いなしだ。ただ心配なのが台風で、これさえクリアーできれば秋には評価の高い「高隈米」が食卓を賑わせるだろう。Kushiragawa5_007

 道の突き当りが高隈の中心で、左折するとすぐに高隈小学校がある。ご多分にもれずここも過疎で、子供がどんどん減っている。おそらく全学年併せても50人にならないだろう。校門入口の塀に「山村留学生募集」の案内が見えるが、どこも生徒集めには知恵を絞っているものの、なかなかままにならないようだ。いっそのこと「教育改革」の一環で、都市部の生徒に山村留学を義務付けたらどうか。文科省よ考えてくれ、都会が子供の墓場にならぬうちに・・。

Kushiragawa5_006  過疎のため既に廃止された学校がある。高隈高校だ。今そこには勤労者体育センターと鷲峰(しゅうほう)館という名のコミュニティー施設が建っている。中には鹿屋市の高隈出張所もある。

 この建物の裏がすごい。串良川が凝灰岩をえぐって、見事な峡谷になっているのだ。以前行ったことのある宮崎県の高千穂峡を思い出す。規模はあれの5分の1だが、人家のすぐそこにあるというところがすごいではないか。(前方の橋は県道にかかる高隈橋で、鷲峰館はその右手に白く見える。クリックで確認Kushiragawa5_009

いま来た道を引き返すと、正面に信号が見え、その先に大きな鳥居が見える。中津神社だ。行ってみると何と工事中で、県指定文化財に指定されている「本殿」がむき出しになっていた。いつ行っても拝殿の中から正面部分しか見えなかったのが、丸見えだ。ラッキーだった。

 工事中の人に聞くと、拝殿を新築し、本殿を覆う建物も造るそうだ。来年の「かぎひき祭り」までには完成するという。2月が楽しみだ。

Kushiragawa5_013_2  中津神社の鳥居の右手手前の高台には「西方(さいほう)寺」という寺がある。いつもは上がることもないのだが、境内に上ってみて驚いたのは、日清、日露、そして今度の大戦で亡くなった人々の慰霊碑が並んでいることだった。Kushiragawa5_012

鹿屋と昭和30年に合併する前、高隈村(もっと前は高隈郷)は大村で、藩政時代は島津氏の直轄領として地頭が置かれたが、明治になってからは上と下に分かれて自治組織になった。

 戦時にはそのどちらからも兵員が繰り出され、明治、大正、昭和と世界を相手に戦い抜いてきたわけだが、そんな歴史を垣間見せる石碑(塔)である。

Kushiragawa5_019 高隈中央からさらに上流へ(西へ)向かう。集落を抜けきった所で高隈バイパス(国道504号)の道を合わせ、約1.5キロで左にダムの堰堤が見えてくる。そこが「高隈ダム」だ。上高隈の2地区204戸が移転させられて昭和42年に完成し、現在、笠野原4000ヘクタールがその水利の恩恵にあずかっている。

 このごろの晴れ続きの渇水のせいなのだろう、放流する水はごくわずかで、近寄っても音もしない。

 事務所の横を左折すると堰堤の上だ。湖水(大隅湖)を見てもさほど減っているようには見えない。適度に串良川の水が流れ込んでいるからだろう。Kushiragawa5_021_2

 向こうに見えるトンネルをくぐると、すぐそのあたりから笠野原のシラス台地への水が取り込まれているらしい。残念ながら確かめられなかったが、湖面の標高が160㍍余り、送り込む台地の高さもほぼ160㍍と標高差はほとんど無い。よほど精巧な勾配技術で送水されているのだろう。

 トンネルの先は大隅湖の南岸を走るアジサイロードだ。Kushiragawa5_024 アジサイは確かに水辺に似合う。だが、今はもう咲いているはずはない。梅雨明けと同時くらいに急激に咲かなくなる。事実、どのアジサイも、茶色く変色したドライフラワーになっていたが、あるカーブであれ、と思った。咲いていたのだ、生々しく。

 わが目を疑ったが、よく見ながら行くと、無いことはない。百株に1株くらいの割でありそうだ。うーむ、遅咲きも遅咲き、狂い咲きとは言うまい。個性だ!もしかしたらこの花(株)にはアンチエイジング・ホルモンがあるのかも知れぬ。誰か抽出して研究せよ・・。

Kushiragawa5_026  湖の先端の少し手前に、ボート乗場があった。

 事務所を覗いてみたら、九月からは土、日、祝日のみの営業とあった。普通のボートが30分300円、スワンの形をした足こぎボートが30分1000円だそうだ。

 もう恋人よりも、孫を連れて乗りに来よう(まだいないけれど)。それにしても人里離れ過ぎている。子供を遊ばせる遊具などがあったら、家族連れも来るのではないだろうか。

Kushiragawa5_027 ボート乗場の向こうに見えたのが、県立アジア・太平洋農村研修村。大隅湖の一番上流に位置し、そこはかって鹿屋市立柏木小学校があったところで、過疎化で廃校になった用地を再利用して平成6年に開設された。

 国際交流と国際協力がテーマの施設で、国際交流員の研修や県内外の学校や団体が学びにやってくる。筆者も一度、韓国の団体と交流したことがある。

 もうひとつ珍しい建物がある。鹿屋市民族館だ(入館無料)。タイかインドネシアかそれ 風の外観をしている。

Kushiragawa5_038_2 中に入ると目に付くのが楽器類。自由に叩いたり、鳴らしたりできるところが面白い。フィリピンの二弦楽器が「アタ族」のものと聞いて驚いた。阿多じゃないか。フィリピンには別にイフガオ族というのがいてこれは「ヒュウガ(日向)族」の祖先だろう、などという説もあり、鹿児島民族(?)の由来はやはり・・・、それとも向こうへ渡った・・・?世界最古級の縄文早期土器がざくざく出る鹿児島の来歴も考えなければならぬ。

 インドネシアの仮面(バロン)も面白い。死神と永遠に戦う、というのがいい。生があるということは死があるということ。その逆もしかり。Kushiragawa5_037

それにしてもタイの少数民族の衣装は派手だ。日本人には考えられないデザインだ。もし日本人が向こうから渡って来たのなら、こんな仕様の一部でも残っていておかしくない。衣食住は意外と保守的なものだからだ。

 そんなことを思いつつ、館内で最近はじめたというコーヒーを飲んでみた。こくがあってなかなかのものだ。聞けば女性職員の実家がコーヒー豆の卸をしているという。さもありなん。ついでにうまい本場のカレーでも出せばいいのにと言っておいた。

Kushiragawa5_041 同じ道を引き返したが、ダムから国道504号に出たあと途中の集落「重田地区」に寄ってみた。国道を約1キロ下ると、道路の右に小さな噴水がある。その角にはグループホーム「泉の里」が新しくできているが、そこを右折すると、すぐに小さな橋がある。重田橋だ。

 高隈の山塊がすぐ目の前に広がり、山青く、水清い高隈でも一級の風景だ。山紫水明という言葉が、これほど当てはまる場所もそうは無いだろう。

 再び国道に出て帰路となる。今度は高隈バイパスを通って、直接シラス台地のKushiragawa5_042 突端・三角峠まで行く。途中、「高隈4号橋」といったと思うが、そこから眺める串良川の清流ぶりにはジンとくる。この風景はバイパスが出来たればこそ、得られた風景だ(下中の霧島大橋と同じだ。公共事業よ、ありがとう)

 清流の先、右手から、こんもりとした丘が左へなだらかに続くが、あれが高隈城(松尾城ともいう)の跡である。高隈城は南北朝時代初期に、肝付氏によって造られた山城(中津神社も同じ頃)で、南北朝の攻防と戦国期、島津氏との戦いの舞台だったが、三州統一後の慶長年間に廃城となった。城跡の向こう側はちょうど重田地区である。

   マップ(赤い十字は中津神社。矢印は高隈城)

    鹿屋市のスクロール地図はこちら

Maptakakumadamu

 

  

 

 

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