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十五夜の綱引き(肝付町川上・片野)

 今年は9月25日が旧暦の8月15日、つまり中秋の名月。昔どおり旧暦を守ってこの日に十五夜行事をすると聞いて、肝付町の中心から9キロほど高山川上流に位置する川上地区に出かけた。

 今はもう川上地区の中心「片野集落」にしか残っていないという、十五夜の綱引き

 以前、錦江町田代の大原地区に住んでいたときは、やはり旧暦通りにやっており、三回ほどカズラ、萱の採取から綱練り(大綱を作ること)まで参加したことがあった。雨に遭ったことはないが、多少の雨でも日を改めたりせずにやってしまうのが彼の地のしきたりだった。

 こちらもそうだろうと思って、夕方、ちょっとした雨が降ったけれども、川上に行くことにした。

 片野公民館に行くと、集落長(振興会会長)が居たので聞いてみたところ「雨が降っても、シートを屋根替わりにしてやってしまう」とのことだった。

 綱引きは、満月(月の神=ツキヨミノミコト)に対する成長感謝儀礼だと思うが、豊作への祈り(予祝)の神事と考えられもする。ツキヨミノミコトはアマテラス、スサノオと同時にイザナギ命によって日向のアワギ原で生まれたことになっているが、アマテラスが高天原、スサノオが海原を統治するのに対して「夜食国(よるのおすくに)」を司る神だ。

 夜の食といっても夜食のカップラーメンではない。

 人間を含めて、地球上の生物は動物でも植物でも、夜、寝ている間に肉体を成長、あるいは回復する。このとき身体の中では栄養たっぷりの血液が身体の隅々まで行き渡り、その結果細胞が成長したり、受けたダメージを修復したりする。これを司るのがツキヨミノミコトである。

 十五夜の綱引き行事で綱を作る際、かっては子供が中心になって山からカズラを採ってきて材料にしたという。綱を引くのも大人も子供も一緒だし、そのあと土俵に上がって相撲をとるのは子供だけだ。成長著しい子供の元気な姿は、ほかの何にも増して月の神をよろこばせるからだろう。

Juugoyatunahikikatano_001 もう少しで川上地区というところ。 暮れなずむ田んぼと山々。Juugoyatunahikikatano_004

7時十五分前、三々五々子供たちが片野公民館へ。灯りはペット ボトル電球だ(絵も描いてある)

            

Juugoyatunahikikatano_005 土俵の真ん中に小さな砂の山がある  Juugoyatunahikikatano_007                       

さあ、7時だ。土俵の前に集合。 でも、川上小・中あわせて17名だそうだ

Juugoyatunahikikatano_012 蛇(竜?)がとぐろを巻いたように 置かれている綱に、お神酒を。Juugoyatunahikikatano_016

二人の男性がとぐろを 挟み、鉦と太鼓で神降 ろし?祭り開始のセレモニー

Juugoyatunahikikatano_017 いよいよ綱を引っ張り出す Juugoyatunahikikatano_024_2

みんな綱を持ったかァ。始めるぞォ

Juugoyatunahikikatano_025

それ引け、ワッショイ! Juugoyatunahikikatano_030_2

勝負はまだかな、ウントコショ

Juugoyatunahikikatano_027

上空はるかにお月様

Juugoyatunahikikatano_034_4 

                   やれやれ終わった。鉦と太鼓で終了のセレモニー  Juugoyatunahikikatano_035                                                                  

土俵の上の砂山は神座だった。相撲が始まる前の儀式

    Juugoyatunahikikatano_038_3

低学年は土俵に上が っても屈託がないJuugoyatunahikikatano_040_5

               高学年は真剣だ

Juugoyatunahikikatano_041 孫が楽しみ

ほら、きばらんか!Juugoyatunahikikatano_043_2

     お月様も見てござった

     

     マップ(肝付町川上・片野公民館)

Mapkouyamakatano

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おおすみ祭礼と行事」カテゴリの記事

コメント

  ご親切なメールありがとうございました。毎回、毎回とても楽しみにしておりますが、あまり無理をなさらず、ぼちぼち長くやってください。大隅半島の歴史の謎は深まるばかりで、そのくせ何故か残っている資料が非常に少ないですね。大原、毛下、特に大原には、刀か刀の鍔が残っているらしいのですが、今度私も写真を写してこようと思います。なにしろ早くしないと無くなっちゃう可能性もありますかね~(笑)!錦江町のお城、古墳も是非やってください。佐多の薬草園も是非!佐多草の写真期待しております。
 いずれにせよ、無理をせず長~くやってください。
img src="http://6331.teacup.com/wan/img/bbs/0000031.jpg"

投稿: わん | 2007年9月26日 (水) 07時48分

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