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2本のセロシア

 どの花もいい――なんて歌が流行った。2honnoserosia_001_2

 花にはいろいろな種類があり、色があり、形がある。咲く時期も違うし、球根だったり、種だったり、殖え方も違う。

 それぞれに個性的で、それぞれの仕方で自分を表現する。そこに満足していれば、花自体は人生極楽だ。

 ・・・だが、同じ花で、芽が出る時期も一緒なら天水で育ったのも一緒の、2本のセロシアがこうも違うと・・・。

 同じ種なのに、どうしてこうも・・・、どっちも高さは60センチの、たぶん「同い年」の2本のセロシア。 

 右のセロシアの種は、たまたま菜園の中にこぼれ、左のは庭の花壇でもない砂利の中にこぼれただけの違い。

 2honnoserosia_002_3 何とも見事な違い・・・。

  左のは、けなげにも、自分の幹よりも太い花を頭に着けて、天を仰いでいる。演歌でも歌いながら、負けるもんかと踏ん張っているようにも見える。

 しかし、優に十倍はある菜園のセロシアは、まるで人生を謳歌しているかのようだ。交響曲「田園」でも奏でているのか――悠然と、堂々と構えている。

 土壌だ、土壌の違いがこれほどの差を生んだのだ。種(遺伝子)の違いではないことは明らかだ。

 人間も・・・、種は同じでも、土壌を誤ると・・・。

 いや人間は植物と違って、自らよりよい土壌を求めに行くことがでる・・・。できる?いや本当はできないのだ。人間にとっての土壌は家族関係であり、家庭なのだから。土壌の管理者は親なのだから。

 

 

 

 

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