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親馬鹿とバカ親

 「出藍の誉れ」――という言葉をちょっと思い出した。

 ボクサー亀田三兄弟の長男・興毅の記者会見で、である。

 タイトルマッチ戦で犯した弟・大毅のリング史上まれに見る反則行為への謝罪が眼目の会見だったが、その前に開かれた父親・史郎トレーナーと大毅自身の会見が謝罪とは到底言えないものだったため、改めて行われたものだ。

 大毅のトレーナーであり、あの対戦で反則行為を指示したことも明白な父親・史郎が再度公式に謝罪するのが筋のところ、親に代わって出てきた興毅が何と言うか興味があったが、彼の臆せぬ態度と思いがけず流暢な謝罪は、例の悪ぶったパフォーマンスになれている者には新鮮に映った。

 こんな一面もあったかと思いつつ聞いていると、最後のほうで彼はこう言いながら一瞬言葉を詰まらせた。

   (世間の見る目はどうでも)俺らにとっては・・・世界一の父親ですから・・・。

 私はこの言葉を聴いてすっかり感心してしまった。

 本当に興毅の言うようにすばらしい父親なのか、わが子を自分の思惑にはめ込み、調教師のように育てるバカ親ぶりを見ていると疑問が湧くが、少なくとも彼にとってはそうなんだからそれでいいのだろう。今回の反則行為のあおりはその悪い面が出てしまったわけだが、トレーナーを辞めさせられるという制裁となって表れたから、興毅の神妙な謝罪で一件落着だろう。

 ところでいまバカ親と言ったが、人の親は誰でも必ずまず一度は「親馬鹿」になる。

 「顔見て笑った」とか、「一足す一は、と言ったら指を二本上げた」とか、生理的現象や単なる偶然でも親にとっては一大事――という親馬鹿時代を必ず通過する。

 問題はそれに入れ込みすぎること、つまり親の思い通りに子供を育てようとし過ぎること。過ぎたるは、なお何とやらで、子供に考える暇を与えずになんでも自分の要求を通そうとする親、世間体を気にして子供の能力以上のものを期待する親は子供にとってはまことに息苦しい存在である。

 スポーツの世界ではそのようなやり方で多少うまくいく場合もある。肉体的な限界ははっきりしているからだ。どんなに調教的な親でも肉体の限界を超える訓練はできない。肉体を損なっては元も子もないのだから。

 ところが勉強の世界はどうか。もちろん通知表や得点順位があって一見客観的だが、肉体的能力ほどの客観性はない。したがって親の調教は歯止めがきかず、ついに切れた子供に逆襲されるという事件があとを絶たない

 こういうバカ親には、あの素朴な「親馬鹿」時代の感性に立ち返ってほしいと思う。

    這えば立て  立てば歩めの親心  無事な成長  祈らぬ親なし

 後の二節は私のつけたりだが、親が手出しするのも足らぬくらいが無事な成長にはちょうどよいのかもしれない。ただ、祈ると言うと大げさだが、いつも気にはかけている存在、それが子供だろう。

  さっきの興毅選手の言葉を借りると、どんな子でも子供なら次のように親に思われたい、と願っているはずだ。

   (世間の見る目はどうでも)親である私にとっては・・・世界一の子ですから・・・。

 

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コメント

こんばんは
メールよりも手軽なこちらにしました。

例の日程が決まりました。
11月10日土曜日実施予定。
行程は「三岳縦走」とのことです。
(たぶん、2次会あり)

足を鍛えるには時間が足りません。
途中でへばってしまわないか不安です。

投稿: 税理士窪田 | 2007年10月29日 (月) 21時54分

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