サツマイモの収穫風景
家の近くの畑では、朝早くからサツマイモの収穫で大にぎわいだ。
いつも犬の散歩で通る傍らの畑で、知人が5人で軽トラックの荷台のカライモの選別をやっていた。
芋の尻尾きりと腐れ芋の廃棄とを同時に行い、手前の大きな袋に投げ込んでいく。
この袋はでんぷん用工場専用の500キロくらい入る大きな物で、詰め込んだあと、ここに置いておくとクレーン付きのトラックがやってきて積み込み、そのままでんぷん工場へ直行する。
広い畑の右側は畝を崩してカライモ(サツマイモをこちらではこう呼ぶ)がむき出しになっているが、左はまだ畝が立ったままだ。この中に白い芋、でんぷん用の「黄金千貫(こがねせんがん)」がぎっしり詰まっている。
8月以降は晴天に恵まれ、芋もホクホクなら、人もホクホクだろう。
大通り(県道)に面した畑では、これから一枚の畑を収穫しようというところだった。
まず四隅を手で掘り取る。そうしておかないと収穫用の機械が入らないからだ。ただし収穫機械(掘り取り機)が入る前には、芋のツルを切り、マルチの黒いビニールを除去しておかなければならない。
芋のツル切りも昔は腰をずっと屈めたまましなければならなかったのだが、今は左の通り機械で細かく切り取ることができるようになり、農家は楽になった。
実際、芋は今やもっとも楽に作れる作物になった。
耕運、畝立て、保温・雑草抑制・畝の崩落防止の三役を果たすビニール張り(簡単にはマルチ張り、と言う)までの仕事はほぼ機械化され、ただそのあとの芋苗の植え付けだけがまだ人手によるが、植えつけてからは収穫までは芋虫の防除のための薬剤散布くらいで済んでしまう。
今日のような収穫になると、ビニールはがしに若干人手がいるが、そのあとは左のような堀取り器がトラクターに装着されて活躍する。その後はさっきの知人の所のように、みんなで芋を寄せ集めることになる。
多少、汗はかくが、無事に収穫までこぎつけたという喜びの汗に違いない。
ここから300㍍ほど離れた畑でも収穫していたので行ってみると、大きな袋が五つも六つも並んでいた。ほとんど収穫を終えている。昨日の続きだろうか、向こうで作業していたので、畑に入ってトラクターの近くまで行ってみた。
するとここの収穫方法は、畑の芋を軽トラックに積み込んでから選別をしつつ袋に入れるというのではなくして、トラクターの前部にアームを取り付け、そこに袋をうまい具合に掛け、畑から直接そこに放り込む――というやり方だった。
なんだかミレーの「落穂拾い」を連想させる「落ち芋拾い」だ。
カライモ――と、鹿児島で言う訳は、カラ(唐=外国・海外)から到来した芋だからで、具体的には琉球からだった。
初渡来にはいくつかの説がある。一番有名なのは「山川の利右衛門」が、琉球から三個の芋を隠して持ってきて、それから広まった(宝永2=1705年)というものだが、種子島家当主「種子島久基」がその7~8年前にすでに琉球から手に入れていたとも言われている。
いずれにしてもこの芋の普及のおかげで、幕府をゆるがせた「享保の大飢饉」(享保17=1732年)の時、鹿児島藩では全く餓死者を出さなかったことで注目を浴び、幕政の採用するところとなった(青木昆陽)という史実につながる。
利右衛門は今では「甘藷翁(からいもおんじょ)」を通り越して、指宿市山川町徳光の徳光神社に「玉蔓命(たまかずらのみこと)」とかいう祭神として祭られあがめられているようである。
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