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流鏑馬祭り(肝付町高山)と城山

Yabusametomyouzubaru_002  十月の第三日曜日。昨日は10度、今朝は7度とぐっと秋めいてきた。

 去年に続いて快晴の、願ってもない祭礼日和だ。流鏑馬は午後2時から始まるというが、その前に「弓取りの儀」という神事が四十九所神社で行われると聞いていたので、逆算して早くとも1時頃か、それならその1時より15分も前に神社に着いていれば見逃すことはあるまい――と高をくくりながら2丁(220㍍)ある馬場を神社へと向かった。Yabusametomyouzubaru_006_2

 ボツボツ人の出が見られる馬場には騎者道に沿って荒縄が張られ、幣がぶら 下がり、出番を待つ雰囲気がそくそくと伝わる。

 神社の階段を上がり、社殿の前に出ると、もう奉納の踊り連でごった返していた。このあと「弓取りの儀」があるのだろうな、と思いつつ、自分も社前で拍手を打つ。

Yabusametomyouzubaru_003_3  少し境内をうろうろしていると踊り連の姿も消え、参拝客が三々五々訪れるくらいになってきた。もう始まるのか、と思いつつ待ったが、一向に拝殿に人の上がる気配がない。

 しびれを切らしたころ、境内に現れた神主(宮司ではなく禰宜さんだったが)に聞いてみると・・・・・何と!もうとっくに済んでいる、とのこと。あらよう、だった。

 12時10分ぐらいでしたかな、とのたもう。 例年そんな時間ですか? そうですよ、市中パレード(武者行列のことらしい)を終えてここに上がってくるとすぐ「弓取りの儀」がありますからね。Yabusametomyouzubaru_009_2

 やれやれ流鏑馬行事まで、まだ一時間以上ある。

時間つぶしにと裏山に登ることにした。裏山は山城のあったところでその名も「弓張城(ゆみはりじょう、キュウチョウジョウとも)」、弓取りが見られなかったその代わりにはもってこい、か。中世の城でもちろん当地の肝付氏のだが、南北朝時代の一時期、武将・楡井頼仲がここを拠点にしたことがある古い城だ。

Yabusametomyouzubaru_021 神社の左手から上る道があり、ちゃんと丸太(に似せたコンクリート製)の階段がしっかりとしつらえてある。何度かジグザグを繰り返すと峠のようなところに出る。

 標識が立っていて、右を行けばすぐに下りになり、下った先は国指定の「二階堂屋敷」の建つところだ。城跡は左手を行く。

 ここまで多分80メートルほど登ったことになると思うが、展望はほんの一角でしかない。木立の間にやっと志布志湾が一部を見せるだけである。Yabusametomyouzubaru_011 これから行く尾根筋からも一切の展望は得られないのが残念だ。

 それでも道は広々として歩きやすいし、椎やタブの生い茂った照葉樹林は適当に影を作ってくれるので、おそらく真夏でもそう暑さにやられず歩けそうだ。

 標高100㍍内外の稜線上には城址を思わせる物は何にもないと言っていいが、数々の巨岩が昔を偲ばせる。中には絶対人工だろうと思わせる石組みもあった。Yabusametomyouzubaru_013

尾根筋から2~3メートル下がったところに、縦1.5m、横2m、厚さ0.5~0.8mくらいの平たい石が、四角い石に後ろを支えられて立っている。どう考えても自然の造形ではない。何かの碑かとも思ったが、表面に刻字はない。

 ドルメンを立てたような塩梅だ。

 そう感じながらやや行くと、何とまさしくそのドルメン状の石組みが現れた。上に木が立っているのも不思議だ。Yabusametomyouzubaru_020

  厚さ50センチほどの角のある楕円形の石が、3~4個の石の上に見事な水平を保って鎮座している。

 ドルメンは弥生時代の遺構で、九州でもほとんど北部にしかない。西九州ではかなり南にあるらしいが、東九州では聞いたことがないし、ましてこんな山の上にあろうはずがないのだが・・・。まあ、自然の造形としておくのが無難。

 ただし、とんでもなく古い人工物の可能性は残される、としてもよい。Yabusametomyouzubaru_028

城山で小一時間を過ごして戻ってみると、やがて大鳥居の前に騎乗の若武者が登場した。例年この若武者は中学二年生の中から選ばれるという。立候補だそうだから頼もしい。というより大変だ。

 というのも今日の晴れ舞台まで約50日の訓練が必要だそうなので、生半可な気持ちではできないらしい。乗馬のイロハから始まって、手綱を離したまま走るまでにはかなりの訓練と緊張が要るという。一週間前から家族とも「別火」つまり一種の「お篭もり」状態、さらに三日間の潮掛け(海のみそぎ)がある。Yabusametomyouzubaru_029

 若武者の家族も名誉といえば名誉、大変といえば大変だ。なにしろ騎手の矢の当たり具合で「五穀豊穣」「天下泰平(地域の安全・繁栄)」が占われるというのだから、子供以上の重圧がかかるに違いない。だからお父さんも紋付を着て、真剣な面持ちで、子供が走る馬場を念入りに「潮ふり」(みそぎをした海岸の砂を撒く)して回る。

 乗っている馬は今年新しく阿蘇のほうからやって来たという栗毛の馬で、少年との息もぴったりのようだ。Yabusametomyouzubaru_035

一回は歩いて、もう一回は矢を打たずに空走りをし、そのあといよいよ本番だ。

 今年は三番的で出走を待った。神社のほうからかすかなどよめきが起こり、それが伝わってくるともうすぐだ。どこからこんなに集まったかと思われる観衆の中、矢を放った瞬間を捉えようとおおぜいがカメラを向ける。

 と、少年の放った矢は、見事に命中した。Yabusametomyouzubaru_036_2

 今年は9射のうち、8射が的中した。五穀豊穣は間違いなしだ。少年も家族も大役を果たした充実感に浸っていることだろう

 900年続くという神事もこれで幕を閉じ、このあとは街中に踊り連が繰り出して、実りの秋はいよいよ深まっていく。

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