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高山の三山縦走(肝付町)

かねてより希望の高山町(現・肝付町)の三山縦走だったが、ようやく昨日果たすことができた。Kouyamamitakemairi_003

 三山縦走は江戸時代からある行事と言い、以前は「三岳参り」と呼ばれ、本来は旧暦4月3日(方言でシンガサニチ)に行われていたそうだ。男女の出会いの場だったという説(歌垣=かがい=説)もあるが、それよりシンガサニチと言えば「神武天皇東征」の出航日を思い出す。

 そんな古い、確証もない話を持ち出すと笑われそうだが、東串良町でその日、凧揚げをして風向きを確かめるという風習があったことは事実である。

 それはさておいて、現代の三岳参りは「国見校区の青少年育成行事」としてKouyamamitakemairi_005 復活しているというので、参加させてもらうことにした。旧高山町の窪田哲郎税理士の紹介によるが、氏はあいにく当日の参加が不可となったので単独で行くことになった。

 朝7時過ぎに肝付町役場の南3キロほどの所にある国見小学校に着いて、事務方の国見小の教頭先生のチェックを受ける。7時半には100名近くの参加者が三々五々集まり、国見峠まで登るというマイクロバス三台に分乗して出発。

Kouyamamitakemairi_008  約30分で国見峠(769m)に到着。そこからは国見岳無線中継所まで歩くのかと思ったら、中継所の許可を得たのだろう、レーダーサイト(888m)まで車で行ってしまった。

 ここが開会式の場所であり、縦走の出発点だ。縦走距離はほぼ10キロ、6時間を予定していると言う。育成会会長の挨拶と、高山三岳会会長の挨拶があっていよいよスタートかと思ったが、班ごとに記念写真を撮り始めた。

 Kouyamamitakemairi_014 怪訝に思っていると、完歩証に載せると聞いた。ええっ!今日の行事の終わりにそんなことがあり得るのか――と驚いたが、実際、午後4時の閉会式の時に手わたされて、2度ビックリ(このブログの最後参照)。

 出発は8時40分ごろ、班ごとに分かれて歩き出す。200メートルほどで高屋山上陵(彦ホホデミのお墓)という言い伝えのある国見山(887m)への細い道を左に見送り、なおも来た道を国見峠へ戻る。

 現代版「三岳参り」では国見岳のレーダーサイトを国見の場所とするらしい。Kouyamamitakemairi_018 確かにこちらの方が眺めが良い。おそらく大隅の山では高隈山の御岳か、南大隅町の辻岳と並ぶ展望名所だろう。これから目指す甫余志岳も優れているが、東側に若干の藪があるのが惜しまれる。

 国見峠に立ち戻り、そこからはいよいよ尾根筋に入る。黒尊岳(908m)を経て甫余志岳(968m)まで6キロの道のりだ。

 道は高山三岳会の会長はじめ会員諸氏が、先月の下旬に踏査・整備をしてくれていて、迷うことのない明瞭な行路がずっと続く。ありがたいことでKouyamamitakemairi_020 ある。

 黒尊岳までは2キロ足らず、さほどのアップダウンもなく、まだみんな元気なので大体予定通りに行き着いた。頂上のやや西寄りに「黒尊岳のほこら」こと「イワナガ姫神社」があるというので、迂回して参拝する。

 なるほど岩だ。高さ5~6メートルの巨大な花崗岩の岩で、正面から左手に回ったところの岩陰に小さなお宮があった。祭神の「イワナガ(磐長)姫」は皇孫ニニギノ命の后として、妹の「コノハナサクヤ姫」とともに差し出されたが、醜さのゆえに容れられなかったという不遇の女性だが、しかし、美人の妹をもらった皇孫は短命になってしまった。Kouyamamitakemairi_023

 それはイワナガ姫が嫉妬の余り呪ったからというわけではなく、「イワうこと」を忘れたからだと言っているらしい。イワナガとは「長く祝う」で、「祭る」ことと同じ意味だろう。一言で言えば「祭りを忘れてはいけない」という戒めになる。

 ちなみに国見岳に祭られているのは皇孫二代目の「彦ホホデミノ命(山幸彦)」で同時に御陵でもある。また甫余志岳にも同じホホデミが祭られているが、こちらは子のウガヤフキアエズノ命をタマヨリ姫が養育した場所との伝承が Kouyamamitakemairi_028 あり、そのため元来「母養子(ホヨウシ)岳」だったのが、甫余志岳と転訛したそうだ。

 イワナガ姫神社の周りには「ツチトリモチ」があちこち群生していた。よく見ないと何か赤い実でも落ちているくらいにしか見えないが、愛らしい形にやや毒々しい真紅の色が何となくイワナガ姫の情念を漂わせていた。Kouyamamitakemairi_027_2

 赤いと言えば、まだ紅葉もほとんどしていない緑一色の照葉樹林帯の山道の無聊を慰めてくれたのが、「ミヤマシキミ」の赤い実。

 初夏にチンチョウゲに似た白い花をつけるミヤマシキミの実の赤さは、濃い緑の葉に包まれてより一層鮮やかだ。

Kouyamamitakemairi_037 黒尊岳から標高差200mを下り、今度は甫余志岳の稜線へ向かって再び200m登り返す。これはきつい。

 前を行く子供たちが、何度か悲鳴を上げていたが、こちらも脚がつりそうになるのを堪えるのに必死だった。

 それで、頭の上のほうが明るくなったなと思ううちに、稜線の直前にでんと構える巨石の展望台を目にしたときは、何とも嬉しかった。

Kouyamamitakemairi_039  さっそく岩の上にあがり展望を楽しむ。

 さっき出発した国見岳のレーダーがはるか向こうに見えていた。ここまで約6キロの山中を歩いてきたが、それが実感として分かるのが醍醐味だ。高齢者も岩の上で嬉々としているではないか。

 さあ、甫余志岳まであと1キロ。稜線上のプロムナードだ。きばい(気張り)もんそ!Kouyamamitakemairi_043

展望岩から約20分でいよいよ頂上だ。われわれの班は最後尾なので着いたはいいが足の踏み場もない。何せ100人近い大人数。芋の子を洗う状態。

 いつもは足元に見えている巨岩の頂上がこんなに狭く感じられるとは、思いもよらなかった。うれしい悲鳴!時計を見ると何と1時半。道理で腹が空いているわけだ。

 ようやく一番北寄りの岩畳の緩い斜面に腰を降ろし、おにぎりをほうばる。Kouyamamitakemairi_044

 腰を下ろした正面には錦港湾越しに開聞岳の麗姿(逆光で撮れず)。右手の北方向には高隈山系が全容を見せていた(右の写真)。天気は快晴で無風という最高の登山日和なのだが、惜しいのは霞んでいること。

 (これ、まさか中国製ではなかろうな。何でも作ってしまう中国は偽ブランド商品に飽き足らず、光化学スモッグの原因物資まで輸出(?)し始めたらしいから・・・。今度開かれた全人代という日本で言う「国会」で、胡主席が「環境問題」を大きな政策課題に挙げていたようなので、やや安心だが、早いとこ頼むよ。)Kouyamamitakemairi_051

 Kouyamamitakemairi_054 昼食を30分で終え、甫余志岳を後にしたのが2時だった。いつも利用される二股川林道が通行止めということで、今回はそちら側(西側)には下らず、姫門地区(南側)に下った。どちらをとっても1時間の下りだが、姫門コースは強烈な坂道がずっと続く。その上、沢(水場)もないから、登りには使いたくないコースだ。

 ひざがガクガクし始めるころようやく登山口に下り着いた(左上の写真は同じ班Kouyamamitakemairi_056 の仲間たちで、国見小学校のPTA会員)。おやっとさあ。

 姫門登山口からマイクロバスで閉会式会場の二股川キャンプ場に向かった(約6キロある)。着くとすぐ、ぜんざいが振舞われた。青少年育成会のお母さんたちと、多分、村作り(振興会)婦人部の人たちの合作だと思われるが、心づくしが温かかった。

 

 閉会式ではくだんの「完歩証」が授与された。むむ・・、すごい早業だ。今回の行事で事務方を取り仕切った国見小Kouyamamitakemairi_060 学校の教頭先生の手作りだという。

 育成会会長が班ごとの代表者に手渡すのを見ていると何とも微笑ましかった。

 小学生も高齢者も同じ賞状をもらうなんて滅多にないことだろうし、育成会長が挨拶の中で言っていたように「苦しさをみんなと共有して乗り越えたという経験は、ふるさとを強く思い出すきっかけになり、将来の心の糧となる」その証しには十分なるだろう。

    その「完歩証」(裏には参加者全員の名が、班ごとに書かれている)

Kouyamamitakemairi_061   

 マップ(赤い十字は国見峠。矢印は甫余志岳稜線上の巨石展望台)

Mapkouyamasanzan

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