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雄川流域散策(南大隅町・錦江町)(その1)

Ogawa1_025  南大隅町(旧根占町)に河口を持つ雄川は全長18キロほどの短い川だが、水量は豊かで河口付近は幅100メートルもある。

 河口には根占・山川フェリーの発着所があり、写真向こうに見える開聞岳の手前の山川港までの約20キロを40分で結ぶ。

 このフェリーは鹿児島の地場企業ではでトップを争う岩崎グループが経営しているが、一年前に休業したのを公共性が高いということで近隣の一市二町が補助金を出すことになり、今年九月に再び運行を始めた。

Ogawa1_023  ごね得という批判もあったが、本土最南端のフェリーを廃止しないでよかったと思う。こんな風光明媚な路線をやらない手はあるまい。

写真を撮っていると子供が二人、河口沿いの狭い路地でボール遊びをやっていた。最近は路地で遊ぶ子供なんてほとんど見かけないので、なんとなく懐かしい気がして写してみた。Ogawa1_024 

 

 フェリー乗り場へ渡る「根占大橋」から市街地を見る。Ogawa1_026_2

 中央が南大隅町役場で、その右手に広がる丘は「神山」でおそらくかなり古い頃からの聖地であったろうと思われる。その突端には日露戦役の碑や太平洋戦争の戦没者の慰霊碑が建つ。

9月に行われる「根占ドラゴンボートレース」はすっかり定着し、当日はこの根占大橋と上流側の「溝口橋」との間約600メートルは観客でいっぱいになる。

 その溝口橋のたもとに巨大な「南蛮クス」がそびえる。Ogawa1_029

樹齢は千年、今から500年前に南蛮交易船が根占に入港すると、その頃はこのクスのあたりまで深い汽水域になっていて、船がロープを掛けて繋留されていたそうだ。

 南蛮クスを通して雄川の向こうに見える山は「辻岳」。根占富士とも呼ばれる標高722メートルの山で、この風景は根占人なら誰しも忘れがたい心の風景に違いない。

Ogawa1_031 南蛮クスから市街地を東に約500メートルで左に蛇行する雄川を渡る。これが新装成った「雄川橋」で、カラフルな歩道もついてすっかり見違えるようになった。

 向こうに見える丘の上にあったのが「富田城」で、根占周辺に6つある中世の本格的な山城ではもっとも古い。

 橋を渡るとすぐに道は二股に分かれる。右を行くのが国道269号線で行き着く先は佐多だ。だが川を追うには左手を取る。Ogawa1_033

信号からはほぼ一直線で300m足らず、赤い鳥居が二つ並んで建つ神社に行き当たる。それが旧根占の郷社「諏訪神社」だ。二つ鳥居はとても珍しい。

 初詣用のお札や破魔矢などの準備で忙しそうにしている神主らしき人にその由来を聞いたところ、三つの説があるという。①長野の諏訪大社を勧請したため。②祭神がタケミナカタとコトシロヌシの二柱だから。③鳥居も朽ちて倒れることがあるので、予備にもうひとつ建てておいた。だそうだが、②が正解だろう。

Ogawa1_037 諏訪神社からみちを左手にとっていくと、5~600メートルで再び雄川を渡り(北の口橋)、さらに行くと根占から田代へあがる県道に出る。右折して坂道になる手前で今度は左折する。

 すると前方にこんもりとした小山が目に入る。これが「鬼丸神社」だ。祭神は祢寝氏第16代「祢寝重長(しげたけ)」で、島津氏や高山の肝付氏と互角に渡り合った戦国武将である。

 祢寝氏は17代380年続いた大隅半島南端の名家で、平重盛(清盛の子)Ogawa1_036 の苗裔、と祢寝氏では信じられていた(実際は建部氏のようである)。

 幕末に島津忠光に取り立てられた「小松帯刀」は、生まれは喜入の肝付氏だが、薩摩半島の吉利(よしとし=現在は日置市の一部)に移封された祢寝氏に養子に入ったため、その伝説に基づき平重盛の通称「小松殿」にちなんで小松姓を名乗ったという。

 鬼丸神社の手前には田の神が鎮座しており、これは県指定の文化財になっている。Ogawa1_017

鬼丸神社をUターンして再びさっきの県道に戻り、道路をそのまま横切って狭い道に入る(雄川発電所の看板が立っている)。

 道はぐんと狭くなり、ここまで河口から4キロ余りというのに、まるで上流地帯に入ったかのようだ。しばらく行くと川がすぐ右手に現れ、その先に鉄道の橋のようなものが川を横切っている。実はこれは下流の田んぼ地帯に水を供給している用水路なのだ。夏になると中学生の肝試しの飛び込み台になる。

Ogawa1_013 

さらに奥へ行くと川幅全体を仕切る井堰が見えてくる。これが用水路の源だ。

 水の少ない大根占(現・錦江町)の下場地帯は、この用水のお陰で数十町の田が拓かれている。

Ogawa1_010

 井堰から500メートル、九州電力「雄川発電所」が見える。大正9(1920)年に開設されたこの発電所は、近隣の電灯はもちろん余った分は各地に送電されている。発電方法は典型的な「落下式発電」で、水は上流の滝「雄川ノ滝」の落下地点の上手50メートルに設けた取水口から2キロ余りを引いて来る。

 発電所の先にはまだ人家があり、雄川からではなく山麓に流れてくる渓流の水を使った田んぼがかなり目に付く。

 Ogawa1_005 中には幅わずか5メートルほどしかない田を、寸分の隙もないような石垣の段々で造ったものがあり、その田んぼ作りへの執念には頭が下がる思いがする。

 Ogawa1_001 河口から直線距離にして5.5キロの「牛の牧橋」が車で行ける最上流で、まだ中流なのに流れといい周りを囲む崖といい、源流地帯の趣がある。

 この崖は前に紹介した錦江町の神ノ川と同じ成因で、5万年前と言われる阿多カルデラ噴出の溶結凝灰岩をえぐり込んだものという。

 写真の中央やや右手寄りに見えるのは「滝見大橋」と言い、凝灰岩の台地を貫く大隅中央道のバイパスに架かる橋で、次回はそこから上流を目指すことにしたい。

   スクロールマップはこちら

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コメント

お元気なようで何よりです。

しばらく記事が滞っていたので(人様のことは言えませんが)ちょっと心配していました。

お身体にはくれぐれもお気をつけ下さい。
そのうちにまた

投稿: 税理士窪田 | 2007年12月22日 (土) 20時56分

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