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十五社神社(串良町有里)

Juugoshajinja_001 鹿屋市串良町有里にある「十五社神社」は、公式にはイザナギ・イザナミ両尊を祭る、とされているが、十五社という神社名からしてもっと多くの神々を祭るお社だ。

 その証拠のような石碑が建っているので、紹介したい。

 鳥居をくぐってすぐ左手にそれはある。Juugoshajinja_003

高さは台石を入れて130センチ余り、正四角柱で頂上部は四角すいとなっており、その四面にはすべて文字が刻まれている。

 表て面には、次のように神々の名が刻まれている(カッコは筆者の注)。

  < 日本国中(の) 大小神祇(を) 奉勧請(勧請し奉る)

      句句廻智命 (ククノチノ命=木の神)

      埴安命  (ハニヤスノ命=土の神)

      軻遇突智命 (カグツチノ命=火の神)

      金山彦命 (カナヤマヒコノ命=金の神)Juugoshajinja_004_2 

      罔象女命 (ミズハメノ命=水の神)  >

 どうやら、日本国中の八百万の神々を勧請したうえで、特に下の五神を刻み込んであるらしい。

 結局のところ、この五神とは「木火土金水(もっかどこんすい)」を表しているから、生活上無くてはならない物として尊んだのだろう。神仏習合のひとつの形とも言える。

 向かって左の面には、建立の年月日と当事者の名が、「白銀二枚」という奉納金と共に刻まれている。

  建立年月日  享保五年(庚子)=1720年  五月吉日

  当事者の名  庄屋  小田 兵十郎  入田 八衛門  平山 孝兵衛

           内宮司  宮地 参河

 時代は享保、享保と言えば8代将軍・徳川吉宗の統治時代で(薩摩藩では21代・島津吉貴)、元禄の浮かれきった世情を引き締めようと、矢継ぎ早の改革が始められていた頃だ。はるか遠い僻遠の大隅半島で、こんなささやかな祈りが行われていたとは、知る由も無かろう。

 十五社神社は、実はあの崇仏論争に敗れ、蘇我氏と聖徳太子らに誅されたはずの物部守屋が落ちJuugoshajinja_005 延び、子孫が代々(守屋の20代まで)社司を務めていたという伝承のある神社。・・・ここから今度は月読神社をへて肝付氏に迎えられたらしく(11世紀)、肝付氏の総社である四十九所神社を差配することになった、という。

 今年はぜひ物部氏ゆかりの「旧事本紀」を解明しようと思っているので、敏達・用明天皇の時に「大連」となって活躍した守屋の昔を偲んで訪れ、いささかの願を掛けてみた。

 社はその由緒の割りには立派とはいえないが、それでも屋根は銅板葺きの、このあたりではお目にかかれぬ仕様である。 

  マップはこちら(串良川流域散策・その2)

 

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