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山宮神社祈年祭(志布志市安楽)

 国指定の巨大クス(推定1200年、樹高26m、胴囲14m)を境内入り口に持つ志布志市安楽の山宮神社Shibushiyamamiyajinja_005(祭神・大友皇子・天智天皇など六柱) で、祈年祭があった。

 山宮神社は明治以前は「山口六社大明神」と呼ばれており、志布志郷の総社の地位にあった由緒のあるお宮だ。志布志と鹿屋を結ぶ国道220号線の「稚児松」という信号から北へ約2キロ、安楽小学校のすぐ先に鎮座する。

 社伝をもとにした由緒書によると、創建は和銅2(709)年というから古い。まだ大隅国が日向国から分立(713年)する前ということになる。Shibushiyamamiyajinja_009

 和銅2年からほぼ百年後の大同2(807)年、このお宮に「安楽神社(玉依姫)」「田ノ浦山宮神社(天智天皇)」「鎮母神社(倭姫)」「若宮神社(持統天皇)」「枇榔神社(乙姫)」の志布志一円に祭られていた5社が合祀され、それから山口六社大明神と称えられたという。

 由緒よりも参拝に来て何よりも目を惹くのが巨大クスだろう。大地から盛り上がる根(根回りは30m近い)の迫力にはすさまじい物がある。Shibushiyamamiyajinja_013

 十時から始まるということだったが、その前に赤い陣羽織風の物を着た4人の男の子が、拝殿前、二基のみこしの隣に弓を手に居並んだ。床几に腰を下ろして威儀を正した風である。

 近くの人に聞くと、「検非違使」なんだそうだ。検非違使と言えば、検察官のような役目で何かを守っているのだろう。祭礼を悪霊から守るのか、それとも祭礼がちゃShibushiyamamiyajinja_018 んと行われるかを検分するのか、よくは分からないようだ。

 十時になって宮司たちが現れ、拝殿に向かって左側に設けられた修抜所の前に参列者を案内し並ばせた。

 参列者の先頭に検非違使少年たちも並び、修抜の祝詞奏上のあと、みんなと一緒にお祓いを受けていた。Shibushiyamamiyajinja_027

 お祓いしてから、参列者一同は拝殿に上がり、それぞれに玉ぐしを捧げたあと、再び境内に降り、今度はひとりの係りが手に何やら持って宮司の後に続く。よく見ると細い竹串(ただし、緑の皮を一部残している)で、わざとササクレさせたうえ、先を割ってそこに白と赤の紙を挟んでいる。

 本殿横にある小さな長方形の仕切りの砂場のような物の前まで行き、拝礼をする。それから宮司を先頭に、「大和の国は・・・」などと唱えながら本殿と拝殿の周りをShibushiyamamiyajinja_031 三周し、それから参列者に向かって「さあ、植えもそかい」と言う。

 それを受けて、みんなは三宝の上の竹串を、小さなシラスの砂場に一本ずつ植えつけていく。何のことはない、田植えなのであった。こうして早くも「お田植え神事」が済んでしまった。

 そばにいた地元らしき人が言うには「明日の安楽神社のお田植え祭りこそが見ものだ」そうだ。なるほどここは祈年祭だったな、と納得する。Shibushiyamamiyajinja_039

そうこうしているうちに、拝殿の方に何やら得体の知れない風体の者が二人出現した。夫婦の田の神だという。

 男神は太い孟宗竹を肩紐でぶら下げたうえ、1メートルもありそうなしゃもじ(メシゲ)を持ち、女神はすりこぎ棒のような物を手にしている。二人とも拝殿に上がるよう促されて、中に入った。Shibushiyamamiyajinja_043

 拝殿の中でどっかと座り込むと、氏子総代のような老人と珍妙なやりとりを始めた。

 見ていると田の神は老人の問いには決してしゃべらずに、うん、うんと言うくらいで、結局はしたたか呑まされる羽目になるらしい。Shibushiyamamiyajinja_050

 田の神問答が済むと、境内ではにぎやかな太鼓・三味線の音曲に乗って舞が奉納される。

 地元の「正月踊り」で、「安楽正月踊り保存会」のメンバー15,6人が、大振りな踊りを境内狭しと繰り広げていた。

Shibushiyamamiyajinja_052 踊りの衣装が変わっていて、顔を黒頭巾で包み込み(眼だけは出すが)、その上に白い鉢巻を締めるのだが、頭の後で、なぜか三角にする。三角が前の額側に来ればまるで幽霊だが、いったいどんないわれがあるのだろうか。聞き漏らしたが・・・。

 それにしても曲数が多い。数えはしなかったが、おそらく12~3番はあっただろう。寒空だが、汗をたっぷりかきそうな運動量に違いない。

Shibushiyamamiyajinja_056  踊りの奉納が済むと最後の行事「浜処下り(はまどくだり)」だ。普通はこれを「浜下り」というが、ここでは浜処下りと言うそうだ。

 猿田彦の面を先頭に、氏子総代、神主、そして二基のみこしが続く。見ていると特別に神輿に「神移し」のような所作をしなかったが、境内に並べた時点ですでに移していたのだろうか、確認はできなかった。

Shibushiyamamiyajinja_060 門を抜け、鳥居をくぐると、駐車場のはるか向こう(200メートルくらい)に、背の高い一本杉が見える。その下が「浜処(はまど)」だという。

 この浜処下りについて書いた小さな紙が配られたが、それによると、ここに逗留された天智天皇が崩御ののち 、田ノ浦の御在所岳に御廟が営まれたが、そこを遥拝するための台座が「浜処」だそうだ。Shibushiyamamiyajinja_065

はまどは高さ60センチ、幅150センチ、奥行き100センチほどのブロック作りの何の変哲もない台座で、到着後、二基の神輿を置き、すぐに神主が拝礼をするだけで終わり、また来た道を引き返すだけ。

 昔は街中を神輿が練り歩いたらしいが、担ぎ手がいなくなった、というのが実情らしい。

 Shibushiyamamiyajinja_068 再び神社の方に向かう。

 最後に獅子舞があるというので、鳥居の前で待っていると真っ赤な装束の獅子が現れたのには驚いた。

 実はこの獅子、ライオンの獅子ではなく「イノシシ」なのだという。

Shibushiyamamiyajinja_071 獅子舞は何と言ってもあの獅子の巨大な金歯でパクパクと開く口の迫力が見ものなのだが、ここの猪のシシは口が開かないようになっている。

 それならまだしも、頭から背にかけて竹ざおのようなものが一本入れてあるだけの、ボリュームのないシンプルそのものの作りなのだ。

 Shibushiyamamiyajinja_073_2 このイノシシは天智天皇が田ノ浦からこの安楽の地へやってきた時の土産だという。だから、こんなに弱弱しくみすぼらしいのだとも聞いた。しかし私は「やせて、みすぼらしいイノシシ」でぴんと来た。『ソジシの空国』だろう。

 天孫ニニギノ尊が日向に降りようとした時、その地を形容して『ソジシ』つまり「イノシシの背の肉」のように「空っぽで何にもない国」と表現したが、それが下敷きになっているに違いない。

 それにしても、志布志にどうしてこんなに天智天皇の伝承が多いのだろうか。いつか解き明かしてみたいものだ。

 マップ(志布志の大クスのところが山宮神社。その南の鳥居マークが安楽神社)

Shibushiyamamiyajinja

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