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しつけとおしつけ

 しつけとは(和製漢字だが)「躾」と書き、もともとは衣類を仕立てる時の「仕付け(糸)」のことで、子供を仕立てる(育てる)際に必要な「定点」だったはず。

 「だった」と過去形にしたのは、近頃とみにこの「定点」が、ぶれて来てしまっていると思うからである。

 その最たるものがしつけならぬ「おしつけ」だ。別に幼稚園や小学校の「お受験」に倣ったわけではなく、この場合は全く別の言葉、つまり「押し付け」のこと。

 たいていオヤジが子供のしつけに口を挟むと、「おしつけ」になる。というのも、一般的に言ってオヤジの方が社会歴は長く、それだけ多くの浮き沈み・毀誉褒貶の事例を見てきているので、ついつい先走ってしまうのだろう。つまり待てないのだ。子供がゆっくり子供として必要な時を過ごす――なんてことは見ているだけで、もどかしく目に映ってしまうのだろう。こんなんじゃ、一人前の大人にはなれぬ。世間に通用せぬ、とか何とか・・・。

 そこへ持って来て、もしオヤジが(オフクロの場合もあるが)子供の頃、成績が良かったり、身体能力が優れていたりしたら大変だ。「何だ、この成績は!何だこのざまは!」ともどかしさを通り越して、叱咤激励に励むことになる。それも激励ならまだいいが、「これでは駄目だ!」と叱咤のダメ押しだ。

 いやはや、子供の立つ瀬はない。人格の否定だ。だから子供はふてくされて何もやらなくなるか、暴発する。

 子供が育つ道理というものがある。一言でいえば「一人前の子供に育てる」ことだ。こう書くと「一人前の大人」の誤りだろうと思われるかもしれない。

 言いたいことは、誰も大人になる前は子供だったということ、つまり、子供時代には子供らしい体験が必要だということで、乳児には乳児体験、幼児には幼児体験、少年には少年体験・・・というように、それぞれの人生ステージに見合った育てられかたをして初めて一人前の大人に育っていく(巣立っていく)。

 前にも書いたが、小学校の学習が十分でなければ、中学校で苦労し、中学校の学習が十分でなければ、高校で難儀をする――というのと同じだろう。子供の心もその通り。

 子育てには原理(道理)はあるが、マニュアルはない。だからつい世間的な評価を導入することになる。それも時にはある程度必要だが、世間に当てはめすぎては肝腎かなめのの子供が見えなくなってしまう。本末転倒だ。わが子といえども「子供には子供の世界があってこそ、大人になって行く」。

 これを「定点」とし、愛情をもって見守りつつ、子供を「一人前の子供」に育てよう。決して大人の世間的評価で「おしつけ(押し付け)」ぬように。

 

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