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おきん女供養碑(鹿屋市新生町)

 鹿屋市中心部の市役所の北は小高い丘になっており、一帯は中央公園として整備されている。0425okinkuyouhi_004_2

 その丘陵と西方の海上自衛隊基地のある台地との間を流れるのが「下谷川」で、鹿屋スイミング交差点から北へ走ると100メートルほどで左に小さな橋が見える。

 それを「中宮橋」と言い、橋を渡ると右側は薬局(山田薬品)で、突き当たりを右折すると30メートルで左へ上がる道がある。そこは市営「八之尾墓地」の入り口なのだが、そういった表示は無く、代わりに白い「新生配水池入り口」という道しるべが建っている。

0425okinkuyouhi_001  道しるべのすぐ上に、奇妙な形の碑が立つ。線香台には石球が乗り、それを挟むように円柱が二本立ち上がり、天辺には自然石が据えられて円状の刻みと「おきん女供養碑」との線刻がある。

 鹿屋市史によると、おきんとはこの一帯の「野間門(のま・かど)」という江戸時代の薩摩藩特有の農村集落の中の一農家の娘だが、絶世の美女だったようで、時の領主・島津久信(垂水島津家第4代=1585~1637)に見初められたが、断ったために惨殺されたという。0425okinkuyouhi_003

 何でも、怒り狂った久信はおきんを大甕に押し込めて中に蛇・ムカデなどを入れ、生きたまま近くの池(野間池=シラス台地下に湧く池)に投げ込んだそうだ。ひどい仕打ちをしたものだ。その後この地区には美女は生まれなくなったという話のオチがつくが、この碑は昭和37年(1962)に建立されているので、計算から言うと、350年ばかりの間このあたりでは美人はいなかったことになる(久信好みのタイプは生まれなかった――のだろう・・・)。

 碑の隣りには昭和3年に造られた観音像(安養寺沙門・徹厳の建立)も見守っている。

 ところで、久信は同じ市史によると「精神分裂症(現在は統合失調症)」ではなかったか0425okinkuyouhi_005 という。

 それより久信の行動は記紀に載る雄略天皇の残酷と武列天皇の暴虐を思わせるものがあり、多分に孫引き的な伝承のにおいがするのだが、しかし領主クラスのそういった粗暴な行為は無きにしも非ずで、その後久信は肝属川の上流に属する祓川に隠居(蟄居)させられ、その死は毒殺によるというから、本家でも持て余したと言うべきか。

久信についてはもう少し調べる必要がありそうだ。(最後の写真は「八之尾墓地」の頂上から北方の眺め)

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