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秋葉原大量殺人事件

 秋葉原はいつも通り過ぎるばかりで、ほとんど駅を降りたためしはない。たしか山際電気は一度くらい訪れた気がする。それも、もう40年近く前の話だ。

 最近の「アキバ」なんて全く知る由もないが、映った交差点を見て昔を思い出した。しかし、まさかここで大量殺人が行われるとは・・・・・。Akiba7ninsatujinjiken

 写真はYahoo!ニュースより(6月11日)。

 犯行の動機は、本人が携帯サイトで明らかにしている。

「誰でもいいから殺したかった」

 要するに自暴自棄の道連れに、他者の命を奪ったのだ。

 この三月にも茨城県で似たような連続殺人事件があった。

 去年は、家族の内部での殺人事件が多発したが、今年はアメリカでよく見られる銃乱射事件のように、自己本位の巻き添え殺人が増えている。

 日本もアメリカ並みになったのだ、などと言ってはいられない。

 犯人にこのような殺人動機をもたらした真因は、これも本人がサイトで言っていた。

 「中学に入ってから、親から捨てられた」

 子供にとっては最も大きい喪失感だろう。彼の場合、親が死んでしまったわけではない、いわば親から以前のようには相手にされなくなった。それも「弟の方が成績が良くて、自分が次第に・・・」というもののようだ。

 報道は、派遣の仕事を辞めさせられるかもしれないという危機感・挫折感が動機だった、という見方をしているようだが、そうしたら同じ職場の同じ境遇にある派遣社員は、みな殺人事件を起こしてもおかしくない。

 真因は、本人が言っているように、家庭内喪失感、換言すれば「家庭内の居場所からの脱落感」であろう。今流行のスペースシャトルを例に取ると、親というブースターロケット(燃料ロケット)が、シャトルを軌道に乗せるはるか手前で「ハイさよなら」とばかり、シャトルから離れていってしまったようなものだ。

 シャトルは正常な軌道には乗れず、乱飛行を繰り返しながら宇宙空間を漂うか、悪くすれば再び地上に向かい激突炎上することになる。今度の殺人者の彼は、もうこれ以上漂うのはやめて、地上に激突する道を選んでしまったのだろう、人を巻き添えにして。

 つくづく思うのは、両親が、「中学に入ってから、親に捨てられた」という彼の心情をなぜ汲んでやれなかったのか、うすうす気づきながらなぜ「軌道修正」できなかったか、ということだ。成績至上主義?がそうさせなかったとしたら、なんともバカな親だ。バカ親の典型だ。(バカ親についてはこちら

 多くの無辜の人々の死によって、容疑者の自暴自棄(と、親の成績至上主義=しつけとおしつけ)には終止符が打たれたが、なんともやりきれない思いばかりが残る。

 提案だが、検定ばやりの昨今、すべての親を対象に「親検定」を設けたらどうか。合格点に達しない親は有無を言わせず、学校や教育委員会が査察に入るようにすれば、虐待、ネグレクト、過干渉を減らすことができよう。

 少なくとも、家庭を密室にしない方策が必要だ。

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