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菱田川流域散策(その二)

0608hishidagawa2_001 散策その一で終わった蓬原橋から、山重方面(国道269号線に出る)に行き、100㍍ほどで右手に折れる道がある。「蓬の露」という焼酎工場の大きな字が目印だ。

 右折すると左は岡(シラス台地)、右側は川沿いの田んぼが広がる。川沿いと言っても菱田川は見えない。

 田んぼの向こうに古墳と見紛うような小山が望まれるが、あれが「蓬原城」で、こちらでは「ふつはらじょう」と呼び習わしている。0608hishidagawa2_003

 500㍍弱で城の入り口を示す石柱が立つ。30センチほどに成長した早期米の田んぼの中を、軽車両なら入って行けそうな農道が延びるが、生憎の雨ではどうしようもない。

 「蓬原城」は救仁郷(くにごう)氏の本拠地で、その一で訪ねた「片平古城」からここへ移ってきたという。救仁郷氏の始祖は、肝付氏初代・兼俊の二男・兼綱というから由緒は古く、最初の片平古城は11世紀代、こちらは12世紀の初め頃の築城と思われる。0608hishidagawa2_004_2

 城跡は南北に200㍍はたっぷりあろうかという小丘全体のようだが、その北のはずれに「惣持院」跡の石柱が立っている。真言宗の寺で、鹿児島の大乗院の末寺だそうだ。

 建立の年は不明とあるが、真言宗は禅宗や浄土系宗派よりは起源は古く、救仁郷氏による招来の可能性は強い。救仁郷姓の由来は菱田川流域を「救仁院」と言ったことによる。「くに」を狗奴国の「くな」、つまりは熊襲の「くま」に引き当てる説が根強い。志布志湾岸の砂丘一帯を、今に「くにの松原」と呼んでいる。 0608hishidagawa2_006

 城跡から北へ500㍍進むと重田集落に出る。そこを右折すると養鰻場があり、川辺に降りる道がある。

 川幅一杯の大きな井堰が、ごうごうと音を立てていた。このあたり、標高はわずか7~8m、下流の田園地帯を潤す水が採られているのだろう。

 川の向こう岸一帯は野井倉台地で、教科書でもおなじみ野井倉甚兵衛の0608hishidagawa2_007 出身地。台地を見渡す限りの水田に変えた死闘は後世に語り継がれている。その水の出どころはこの菱田川のずっと上流だ。

 堰から下手を望むと、川を堰き止めるかのような位置に蓬原城跡の小山が見える。要するに城の東は菱田川が天然最良の堀になっているというわけである。西側は今は一面の田んぼだが、城の近くは掘割りがしてあったかもしれない。

 そうなれば、城全体が一種の「川中島」となる。難攻不落の要塞だったろう。0608hishidagawa2_008

 重田集落からさらに北を目指すと道は上りになり、登りきってやや行くと、大きくカーブしたあたりが中野集落の入り口だ。ここは標高約60m、田んぼなんか無いだろうと思いつつ行くと、茶工場があり、その先一面が水田だった。

 普通作の田んぼでは青々とした稲が、折りしもの雨で一層鮮やかだ。鮮やかといえば田んぼの脇に立つ真っ赤な消火栓も鮮やかなもの。青々とした田んぼとのコントラストが面白い。しかし、なんでこんな所に?とも思うが、向こうに見える茶工場(中野共同製茶工場とあった)のためだろうか。0608hishidagawa2_009

 その茶工場の横には大きな石碑が建つ。

読んでみると「開田の記念碑」で、この高地に田を作ろうという気運は何と明治25年からあったそうな。てっきり戦後の計画とばかり思い込んでいた不明を恥じた。そういえば野井倉開田事業も明治からだったのだから、ほぼ同時進行の計画ということになる。最終的な完工は昭和28年。実に気の長い話で、米作りに対する執念・愛着がひしひしと感じられる。0608hishidagawa2_011_2

 大きな石碑の隣りに小ぶりの田の神像がちょこんと祭られているのも、村人の開田への喜びと感謝の表れと見た。

 茶工場からわずかに行った先を右折すると田んぼ地帯に入るが、農業機械倉庫の脇に何やら石塔群が立っている。見ると「アンダドン(阿弥陀どん)」という遺跡で、笠塔婆・五輪塔・無縫塔の三種の遺物がまとめて置かれている。かってここに「真中寺」という寺があったという。時代は無縫塔だけは0608hishidagawa2_012 刻銘があり安永9(1780)年の造立と分かるが、あとのは戦国期だろうぐらいしか分からないという。

 中野集落を後にして、また北上すること1キロ、鹿屋と志布志を結ぶ農免道路に出、右折するとすぐに「有明大橋」だ。

 長さ360m、橋脚間212mというこの橋は昭和56(1981)年に完成している。橋の手前に巨大な完工記念碑が立つが、当時の鎌田県知事の直筆が掘り込まれており、当時としてはかなりの大工事だったことが伝わってくる。0608hishidagawa2_013

 橋の下を流れる菱田川の川面の標高はまだ10mあるかないか、一方橋は標高70mほど。差し引き高度差は60メートルにも達する。錦江町にある「滝見大橋」(平成10年完成)の100メートルには及ばないが、工事の難度はそう変わるまい。

 それにしてもこのあたりの菱田川。すっかり深山幽谷の趣きだが、河口からわずか10キロほど、標高も10mしかないとは思えない。これがシラス台地をえぐって流れる川の特徴だ。

  マップ(志布志市有明町野井倉、山重のあたり)

 

 

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