菱田川流域散策(その三)
鹿屋と志布志を結ぶ農免道路に架かる「有明大橋」から上流は、5キロ上流の縄瀬地区まで谷が深すぎて見ることができないので、代わりに、というとおかしいが、有明大橋から2キロ半ほどの所にある岩屋観音淵を訪れることにした。
これは菱田川の2大支流「大鳥川」「月野川」のうち、大鳥川に面した凝灰岩の崖の中腹に掘り込まれた観音様である。
国道269号線の沿線にある旧有明町の山重小学校の前を通り過ぎると、道は長い下り坂になる。大鳥川河岸への坂だ。下りきると右手に道があり、大鳥峡と岩屋観音への道しるべが立っているので、それに従い右折する。
右折するとすぐに右手が大鳥峡だが、今は寂れ果てているので寄らないでそのまま道を急ぐ。1キロちょっとで月野川に架かる「小鳥橋」を渡る。すると左に商店があり、その向かいを右折する。エノキの大木が目印だ。
このあたりの支流「月野川」の河谷はそう深くない。
しばらく行くと三叉路に出る。岩屋観音のある「久保崎集落」は右手に入っていく。
この入り口を造成工事したときに、このあたりで縄文早期の遺構が見つかっている。縄文早期の遺跡は、こんな辺鄙な何も出ないような地点で発見されることが多い。
写真右端に見える白い標柱が、発見場所を表示している。
ここを右に入って久保崎集落をまっすぐ抜け切ると、岩屋観音入り口の駐車場だ。
左手へ階段を下りること340段、比高40メートルはありそうだ。つづら下りに降りていくとようやく川の音が聞こえ(ただし姿はほとんど見えない。まだ15,6㍍は下だろう)、テラス状の所に出る。
そこが岩に掘られた観音(磨崖仏)の見える場所だ。左手に立ち上がる壁面の奥には何やら文字が彫られている。
「霊岩山 仙遊寺」と読める。こういう寺が実在したとは聞かないから、この場所全体を寺に見立てて名付けたのだろう。確かに「仙人が遊ぶ」ような雰囲気は感じられる。
この磨崖仏が掘られた時期は三期あるという。江戸初期、後期そして明治初期だ。
このうち明治になって諸国行脚の末に到来した「吉田一円」という修行僧の彫った物を、すぐ間近に見ることができる。
吉田一円は明治30年に亡くなっているが、その墓はこの磨崖仏のすぐ前にある。
残念ながらこのあたり、まだ川は見ることができない(森の間にちらほら)。
そこでここから2キロほど上流の縄瀬地区に向かう。そこには橋が架かっている。
縄瀬橋から菱田川の上流方面を見たときは、川と人家のどこにでもある風景だが、下流側を見てちょっと驚いた。
というのも、人家が川岸
にほぼ垂直に沿う形で並んでいたのだ。
そんな川の風景はどこにでもありふれていそうだが、雨量が多く台風などの豪雨で川が氾濫しやすい鹿児島の川では、実はあまりお目にかからない風景なのである。
以前、広島に住んでいたことがあったが、内陸部ではかなりの大河でもその河岸に迫って家々が立ち並んでいたのを思い出す。
向こうは豪雨がなく、多少の雨では増水の心配が無いものと見えた。
縄瀬橋をわたり菱田川の左岸を行くこと5キロ、志布志市松山町(旧曽於郡松山町)の中心部に出る。菱田川と松尾川の合流地点を中心に町が開ける(右)。
馬場橋を渡ってすぐ右手が高い台地になり、その上に「松山神社」「松山城址」「運動公園」「道の駅」がある が、これまで行ったことのない松山神社に上がってみることにした。
祭神は「応神天皇・神功皇后・タマヨリヒメ」で、一般的には八幡神社の祭神といわれる。かっては八幡神社だったのだろうか、由緒書のような物はなかった。
神社の向こうのさらに高い岡には松山城の天守閣らしきレプリカが建っている。この城は寿永3(1184)年、平重頼(係累不明)の築城と言われるから古いものだ。
神社のある岡は菱田川と松尾川のY字形合流点にあるから、もしかしたら墳墓の丘かもしれない。
松山からはやはり同じ左岸に沿って上流に向かう。約5キロで岩川に到る(写真左は岩南小学校に近い菱田川の流れ)。
ここでようやく深い河谷から解放され、水に親しめる川となる。
岩川はかっての曽於郡大隅町の中心地。いや曽於郡全体の中心と言ってもよい。明治以降の行政・産業の郡都となったのは、ここが藩政時代、薩摩藩重役の伊勢家の私領だったことが大きい。
写真は市街地で菱田川に合流する前川。
橋を渡った右手一帯は、菱田川とのY字形合流地帯で、万寿年間(1024年~1027年)に、当地の社人が、京都に行って岩清水八幡宮の分霊をもらってきて、その分霊を初めて祭った所だという。
ところがその後、洪水で社殿が流されるようなことがあったので、熊野神社があったところへ八幡宮が移転した。それが現在の「岩川八幡神社」であるという。
(マップは曽於市大隅町月野・岩川あたり)
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