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根占の城址(肝属郡南大隅町)

 夏の暑気疲れかどうか分からないが、手足に軽い湿疹のような物ができてかゆいので「塩湯」が効くと思い、南大隅町(旧根占町)の温泉「ネッピー館」に入りに行った。

 20キロもある温泉へ、ただ入りに行っただけではモッタイナイので、ついでに、7つあると言う根占の古城址を確認してみた。

 まずはネッピー館。0824nejimesiroato_001

 脱衣所に貼ってあった「高張泉」のランキングには驚いた。

 「高張泉」とは、人間の組織液よりも濃度の高い成分含有率をもつ温泉で、それだけ体内への成分の浸透が大きいのだという。0824nejimesiroato_002

 ランキングによると、根占温泉は全国で27位だそうだ。鹿児島県ではトップが加治木の「ふれあい温泉」、次が開門温泉、次が阿久根の「グランビュー温泉」、そして鹿児島で4番目がこの「ネッピー温泉」だという。

 今を盛りと咲くハイビスカスも元気をくれているようだった。0824nejimesiroato_004

さて、温泉を出て右手に行く。すると塩入橋があり、橋を渡らず、反対の田んぼの方を見ると小高い岡が目に入る。あれが「水流城」で「つるじょう」と読む。かってはあの岡の麓を川(雄川)が流れていたのだろう。南北朝期に築城された見晴らしのいい山城である。

 水流城の麓まで行き、山すそを東に向かうと国道269号に出る。右折してそのまま行くと新しくできた(平成14年竣工)根占中学校を過ぎて佐多方面へ向かうが、0824nejimesiroato_006 100㍍ばかり行って左折する。

 田んぼと人家の間の道を行くと、右手前方に馬の背のような岡がある。そこは「山田城(別名:平瀬戸城)址」で、この城を築いたのは「平姓長田致将(むねなが)」である。致将は祢寝(ねじめ)氏との直接の血縁はないが、同じ平氏であり、その縁があったのだろうか、養父・長田忠致(ただむね)の壱岐守赴任に付いて行ったあと、根占を領有することになった。

 (長田致将は平家が壇ノ浦で壊滅したあと、源氏の九州攻めに拮抗しようと根占から宮崎県の西諸県郡野尻町の内木場城に移り、そこで死を遂げたらし0824nejimesiroato_007 い・・・小林市の鮫島田佳雄氏のご教示による。鮫島氏のブログ(内木場城)を参照)

 つぎに行ったのは「富田城址」。山田城からは旧根占中学校の前を通り、諏訪神社を目指す。諏訪神社の左手から上がる道が富田城への道だが、現在の富田城址はシラスの採取のために壊滅状態である。(写真は北之口集落より見上げた城址)

 0824nejimesiroato_008_2 ここは祢寝(ねじめ)氏の本城で、築城は鎌倉初期とされる。

 集落の北に雄川を渡る北之口橋があるが、そこからははるか向こうに長大な絶壁が横たわるのが見える。あれが「国見城址」のある城内台地だ。シラス台地の硬い部分が侵食に耐えて残り、ほぼ西に向かって2キロの半島となっている(メサ地形という)。

 標高160mの台地の上に築かれた国見城は水流城と同じ南北朝期のものである。0824nejimesiroato_010

 次に向かったのが、町の中心に近い針馬場にある「建部城址」で、これが確認できる根占では最も古い城で、平安末期の築城とされる。鹿児島神宮の前身である「大隅正八幡宮」の社人であった建部氏が正八幡宮領であった根占に下向し、居ついた後に築城された。

 その建部氏に入り婿で入ったのが、平重盛を祖に持つという「平清重」だという。重盛のひ孫に当たる。0824nejimesiroato_011_2この重盛が「小松内大臣」と呼ばれていたことから、祢寝(ねじめ)氏の吉利(よしとし)郷への移封後に姓を「小松」に改めている。

 建部城のすぐ隣に、南北朝期になって「野間城」が築かれている。写真は建部城址から北へ国見城址のある城内台地へ向かう途中からの野間城(左の岡)と建部城(野間城の右手の団地の所)。0824nejimesiroato_015

最後に雄川河口にある「瀬脇城址」に向かう。

 別名が塩入城と言われるように、海に面しているこの城も南北朝期に造られている。7つの城のうち南北朝期に4つも造られているが、南北朝時代がいかに戦乱に明け暮れたかということを如実に物語っていると言えよう。

 0824nejimesiroato_013 国見城址のある城内台地へ登る途中からは、根占の平野部が眼下に見渡せる。真ん中に右手から黒っぽく伸びている丘の向こうに、根占港が望まれ、右から瀬脇城、やや左手へ水流城と並ぶ。

 もっと左へ視線を移すと(下の写真)、真ん中には野間城址の丘が横たわる。その左手の奥には山田城址のある丘が見える。さらにその奥には根占富士と言われる「辻岳(722m)」が聳えるのだが、あいにくの空模様であった。0824nejimesiroato_014

マップ 0824nejimesiroato ①建部城 ②野間城 ③山田城 ④富田城 ⑤水流城 ⑥瀬脇城 ⑦国見城

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コメント

 貴重な資料ありがとう御座います。帰省のたびに、こんな資料があればと思っておりました。でもどうしたわけか、地図をダブルクリックすると一部しか出てきません。そこで地図にマウスを置き右クリックしリンクを新しいウインドウで開とやれば、大きな地図がでてきます。
早速、下記レイヤーに登録させていただきました。ありがとうございました。
http://portal.cyberjapan.jp/denshi/opencjapan.cgi?x=130.768972&y=31.211786&s=10000

投稿: わん | 2008年9月 2日 (火) 03時58分

 さらに、この地図を印刷したい方は、先ほど言いましたように、地図の上にマウスを置き右クリック、リンクを新しいウインドウで開く(N)を選びます。開いた大きな地図の上で再び右クリックコピーを選びます。スタート、プログラム、アクセッサリー、ペイントをうごかします。動かしたら、編集貼り付けをします。ファイルの中の保存でJPG形式で保存します。そうしたら後は、通常の写真編集プログラムで拡大縮小してプリント出来ます。

投稿: わん | 2008年9月 2日 (火) 04時30分

 あとは、プリントアウトした地図を持って、ジョギングスタイル、弁当持参で、城めぐり1日コースと言ったかんじでしょうか?

投稿: わん | 2008年9月 2日 (火) 04時34分

お役に立って何よりです。
 
城廻りの節は、声をかけてください。

投稿: kamodoku | 2008年9月 2日 (火) 23時42分

今日辻岳に登りました頂上まで約三十分かかりました 頂上につくまで不安でしたが上についたら本当にきれいでした 是非登ってみて下さい

投稿: みい | 2009年10月11日 (日) 19時23分

学校の総合的な学習で根占の城跡を扱う際に,このサイトを見つけて,この地図を活用させていただきました。事後報告で申し訳ありません。
根占にはいくつの城跡があるのか,というクイズの解答でこの地図を紹介しました。勉強になりました。

投稿: 学校の先生です | 2016年9月26日 (月) 18時38分

お役に立ち何よりです。

投稿: kamodoku | 2016年10月 4日 (火) 14時07分

今日は。
久し振りに質問させていただきます。
根占町や鹿屋市高須町に「唐人町」と呼ばれる戦国時代末期の中国人居留地の地名があるということを、立正大学の村井教授の本から知りました。
どこにあるか、もし、おわかりであればお教え下さい。

投稿: しげよあゆみ | 2016年10月10日 (月) 14時51分

根占には「南蛮クス」と呼ばれる大きなクスが雄川橋のたもとにあって昔はそれに艫綱を結んだ、という伝承があり、また池端弥次郎(一時ザビエルを先導したヤジローではないかと言われたことがあったがヤジローは鹿児島城下の出身なので、今は否定されている。また池端氏の子孫に俳優上原兼とその子加山雄三が出ているらしい=NHKファミリーヒストリー)が倭寇との戦いで死んだと池端文書にあるので、唐人が来泊していたことは間違いないが、唐人町の存在までは分からない。
 高須も当時は根占同様の良港で、唐(南蛮)人も来航してはいたでしょうが、唐人町は不明。
 確実なのは、東串良町の肝属川下流にある「唐仁」で、そこにある古墳群が「唐仁古墳群」と呼ばれている。
 また大隅半島ではないが、薩摩半島加世田にも「唐仁原」(とうじんばる)という地名が存在しています。

投稿: kamodoku | 2016年10月26日 (水) 23時02分

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