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台風一過(13号台風)

0919taifuu13gouikka_001 18日の4時ごろから強風域に入ったらしく、雨風共に台風を思わせるようになった。

 今年初めての台風が過ぎた明けて今日19日、雨戸を開けてみて胸をなでおろした。

 横倒しになっていたのは大株のセロシアと0919taifuu13gouikka_004

 コスモスくらいだった。0919taifuu13gouikka_002   もっとも、畑ではオクラなんぞが、まるで尾羽打ちしおれたようになっているし、後ろの棚に絡んでいた苦瓜は、あられもなく裸同然の姿にになっている。

 この980hPaという愛すべき小型台風が、7月ごろに来ていれば、植物ながら彼らも学習して、台風への対処の仕方も会得していただろうが、何しろ今夏初めての台風だ。

 何だか訳の分からぬうちに真っ暗闇の中で風雨に揉まれてしまったに違いない。0919taifuu13gouikka_008

午後から出かけた吾平町で、町の東はずれを流れる姶良川を見ると、今現在、見た目でいつもの3倍くらいの水量になっている。

 昨夜の7時過ぎだったか、鹿屋市から「吾平下名東地区に避難勧告」が出されたと放送されたがが、その時は写真右手の草が倒れているところまで水位が上がったのだろう。

 見た目で現水位よりさらに人の背丈ほど(1.5㍍)上がっていたようだ。0919taifuu13gouikka_009

上流側を見てもその水位上昇の跡がよく分かる(くすんだ緑になっている草のところまで)。

 奥に見えるのは姶良川の源流地帯「八山岳」連山だが、おそらくそこでの24時間雨量は400ミリ位なものだったろう。

 同じ13号台風といえば、平成5年の9月2日に大隅半島に上陸したのを生々しくを思い出す。

 あの13号台風は薩摩半島南端をかすめた時の勢力が920ミリバール(hPa)という強烈なもので、大隅半島を横断した際に、農業用のビニールハウスや送電線の鉄塔をなぎ倒したとんでもない台風であった。

 私共一家はあの夏に錦江町田代町大原地区に「入植」したのだが、13号台風の時に生まれてはじめての「避難所生活」(と言っても一泊だけだったが)を送ったのだった。

 納屋は倒壊し、その後、2週間の停電や屋根の雨漏りかれこれに悩まされたのだが、年の終りごろになってもまだ屋根にブルーシートを載せている家が多く、「まるで避難民キャンプだ」と言い合ったのを懐かしく思い出す(このとき初めて災害義捐金なるものを貰っている)。

 その平成5年の夏は梅雨が明けずに、雨、雨、雨で、特に8月6日は世に言う「8・6水害」で日雨量1000ミリを越え、国道3号線が川と化して、人が溺れ死に、鹿児島湾岸の御船地区では山津波で電車が呑み込まれて完全孤立し、海上自衛隊艦船が救出に出動したという類稀れなひと夏であった。

 この吾平東地区でも、あの年は水田が水につかり、大きな被害を出している。田代で平年作の6割であったというが、ここも大同小異だったろう。

 平成8年、災害を乗り越えて吾平東地区の水田地帯は見事に生まれ変わった。姶良川と広大な田んぼ地帯の間に、その完成を祝う碑が建つ。名付けて「農魂の碑」という。0919taifuu13gouikka_010_2

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コメント

 う~ん、ご苦労が忍ばれ思わず涙!農魂の碑か~。昔の人は、本当によく働きました。ほとんどストイックに働いたと言っても良いでしょう。

投稿: わん | 2008年9月19日 (金) 21時02分

 我々、小中学生も、よく働きました。大人顔負けでよく働きましたよね!

投稿: わん | 2008年9月19日 (金) 21時04分

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