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大相撲を再検討せよ

 ロシア系の力士3人、若ノ鵬、露鵬、白露山が大麻の吸引により解雇された。

 その責任を取って(財)日本相撲協会トップの北の湖理事長が辞任した。当然と言えば当然、白露山は北の湖部屋の力士であるから、まずは自身の親方としての監督責任があり、本来なら親方としての進退にも言及されてしかるべき問題だ。

 だが、理事長の職を辞するだけで済ませるようだ。まあ、いまどき、外人力士の存在がないと大相撲もやっていけないので、むしろそういう力士を育てています、ということが、相撲部屋の親方としてはステータスが上がり、多少の悪事も必要悪、というご時勢なのだろう。

 情けないことだ。いまさら「心、技、体」と言っても始まらないが、しかし多くの(本物の)相撲ファンが期待しているのは、勝ち負けにこだわらず正々堂々と一心不乱に取るという「けれんみのない」取り口のはずだ。

 勝ち負けにこだわらず――と言ったが、勝敗によって昇進か転落かが決まるのだから、勝つに越したことはない。ただ、逃げの手や卑怯な手では勝って欲しくないのが(本物の)相撲ファンであろう。

 その大前提として「相撲は神事」というのがある。神々に奉納する相撲――だから、そう見られるようになった。その具体的な由来ははっきりしないが、少なくとも「相撲の節会(せちえ)」が恒例化した平安時代からであることは間違いない。

 それより古い『日本書紀』から相撲記事を拾うと

    当麻の蹴速(けはや)と出雲の野見宿禰とが、相撲(原文では角力)を取り、野見宿禰が勝った(垂仁天皇7年)

    采女を集めてふんどしをさせ、皆の前で相撲を取らせた(雄略天皇13年)

    健児(ちからびと)に命じて、堯岐(ギョウキ=百済からの使者)の前で相撲を取らせた(皇極天皇元年)

    秋七月三日、隼人多く来たりて、方物を貢ぐ。この日、大隅隼人と阿多隼人とが朝廷に相撲を取る。大隅隼人が勝った(天武天皇11年=682年)

 などがあるが、最後の天武天皇11年七月三日の「朝廷に相撲を取る」というあたりが、「天覧相撲」的なものを思わせる。このころに今日まで続く神事的な相撲の萌芽があったと見てもいいようだ。といってその行事が具体的にどんな内容のものであったかは不明である。

 私見では、このような神事を担った「相撲」はたんなるスポーツではなく、したがって大相撲を目指す子供は中学、もしくは高校、大学を出て、いきなり親方の相撲部屋に入門させるのではなく、「相撲学校」というような機関を作り、まず希望者をすべてそこに収容した上で、「神事としての相撲」を学ぶ機会を与えるようにする。

 まず3年ぐらいは、相撲取りとしての心構え(心)、技量(技)、体力(体)の基礎を作り、希望者はそこから高校、大学などに進学できるようにすればよい。その後(卒業後)、はじめてそれぞれの相撲部屋に所属し、これまで通りの相撲界に入るようにする。

 ここまではもちろん「コテコテの伝統相撲(神事に基く相撲)」の世界で、これは今まで通りの日本相撲協会が担任・運営する。

 私見では、これに加えて「国際相撲協会」を日本主導で設立し、世界のスモウ・レスリングに発展させる。神事抜き、相撲部屋抜き、それにマワシ(ふんどし)はやめて、擬似ふんどし(マワシ付きパンツ)なるものの使用を認めればよい。要するに、純粋にスポーツとしての相撲を構築する。

 以上のように、相撲を「神事としての伝統相撲」と「勝ち負けのみのスポーツとしての相撲」とに完全分離し、それぞれを継続・発展させれば、本物の伝統相撲ファンもほっと安堵するだろう。

 因みに、今月14日は旧暦の8月15日。あちこちの集落で「神事相撲」の元祖・隼人の後裔たちが、十五夜綱引きの神事に引き続いて「十五夜大相撲」を披露してくれるはずである。

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コメント

なるほど。
分けるっていう考え方は面白いですね。

投稿: アルバイト募集 | 2008年9月14日 (日) 09時50分

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