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天気、異常あり

9月に入り、ようやく梅雨から抜け出た気がする。

そのくらい8月は雨が多かった。

 鹿屋では――おおむね鹿児島全体の傾向でもあったが、4月が多雨、5月は晴れの日が多く、6月は近年にない「梅雨らしい梅雨」で、少し早く明けたなと思ったら、7月は一転して快晴続きの猛暑、そして8月は雨、雨、雨の毎日。一ヶ月ごとに雨季と乾季が交代したような塩梅だった。

 その伝で行くと、この9月は「乾季」だが、どうだろうか。台風を気にしないで済む天気なら、乾季でも雨季でもどっちでもいいが、そうは問屋がおろすまい。11月初めに来た台風もあるから油断禁物。

 それにしても、東日本の豪雨は猛烈だ。まさに言葉の正しい使い方の「集中豪雨」が、あちこちで繰り返された。本家本元、西日本の太平洋側の降り方が引っ越して行った感じがする。

 いや、感じがしただけではなく、もしかしたら本当に東日本が西日本の天候に変わりつつあるのかも知れない。7月に入り、こちらが早い梅雨明けでかんかん照りの頃に北陸での集中豪雨があったと報道されたとき、

 「梅雨末期の(人が死なないと終わらない、と言われている)鹿児島の豪雨が、向こうで降っているじゃないか!」

 と、思ったものだ。

 しかも、それが一過性のものではなく、次々に、まるで連鎖反応のように東日本各地で起こっている。2ヶ月たった今も、まだそれが続いているといってよい。「ゲリラ豪雨」と名づけられているが、言い得て妙だ。

 しかし、言い得て妙だ、などと感心してはいられない。私には何かの前触れに思えてならない。それは――

 天変地異の前触れ――だ。

 天変地異といえば、日本列島では政府公認の「東海、南海における海底トラフのひずみの解消」つまり「東海大地震」「南海大地震」が喫緊に迫っていることがあげられる。地震学者や物の本ではそれが「いつ起きてもおかしくない時期に入っている」そうだ。

 だから、明日起きたとしても、なんら不思議ではないし、天罰でもない。

 しかし「天気」とは中世の古文書では「天皇の御気(ご機嫌)」を表す言葉だ。中世、天皇制は衰微・疲弊したとは言え、それでも天皇は神事を司る精神的支柱であった。つまり物質的(現世的)な実力はないが、神々に通じる「何か」を体現した存在としては尊重されていたのである。

 天気が異常――と言うことは、その意味では神々の警告に他ならない。天変地異の前に、神々が、「もうすぐやって来るから、心しておくように」という知らせを、誰にでも分かる「ゲリラ豪雨」という形で示して見せた――ととってもいいように思われる。

 とくに雨は水であるわけで、水と言えば「禊(みそぎ)」とつながってくる。

 そう捉えると神々が人々に、「今度の天変地異は特別であるから、到来する前に、禊をしておきなさい。そうすれば天変地異の際に、生き残って全てを失ってもうろたえることなく、死んでもうろたえることが無いだろう」とゲリラ豪雨によって教えてくれているのでは、と思えてくる。

 ここまでは私の勝手な思い込みかも知れぬが、とにかく「東海大地震」「南海大地震」(学者によっては二つが同時にと言う人もいる)が間もなくやって来ることは衆目の一致するところで、そこをどう生き延びるか(あるいは他界するか)は、結局は人それぞれの対処法と心に懸かっている。

 

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