獅子目田んぼ(鹿屋市田淵町)
6月13日に植えられ、約一ヵ月後の7月15日に見に行った獅子目地区の田んぼ。
さらに一ヵ月半を過ぎた今日の様子がこれ。
すっかり実が入って、穂が垂れて来ている。色もいくらか黄ばんできた。
収穫は来月の半ばだろう。台風さえ来なければ、豊作間違いなしと見えた。
向こうにかすんで見えるのが陣ノ岡で480m余りある山だが、名前の通り、戦国時代に肝付氏と戦うべく南からやって来た祢寝(ねじめ)氏が陣を構えたという。
獅子目田んぼから見た「志々目城」のあった小山。田んぼに囲まれているのどかな城址だが、南北朝時代に「志々女氏」によって築かれた。
氏名は「志々女」だが、城名は「志々目城」と書く。だが、今では「獅子目地区」だ。
地名の音自体は変わらないが、表記の漢字は相当に変わるという典型的な例がこれである。
だから漢字に囚われると、とんでもない地名解釈になってしまう。
志々女氏は鎌倉中期の頃、当地に島津荘の一荘官としてやってきた富山氏の流れをくむ。ほかに大姶良氏、横山氏、浜田氏などが同族で、それぞれに居付いた地域の地名を名乗っている。大姶良、横山、浜田などは今日でも全く変わらず使われているが、志々女に限ってはずいぶん変遷している。
その理由は、そもそも「ししめ」という不可解な名称にあるのだろうが、意味するところは謎である。似たような語感の「ねじめ(根占)」を、私は「内侍女(ないしめ→ねしめ→ねじめ)」からだろうと考えているのだが、それじゃあ、同じ由来かと言われると、「ねしめ」と「ししめ」では「ね」と「し」という、転訛としては大きすぎる違いがあるので、今は何とも説明がつかないでいる。
志々目城跡の写真を撮ったあたりの道端に、何と「四等三角点」という真新しい標柱があった。一等から三等まであるのは知っていたし、それぞれ見たこともあるのだが、四等は初めてだ。
ちょうど県道と集落道との分岐に当たるところで、道に近いところには明治42年に建てられた「耕地整理記念碑」がある。
サイトで調べたところ、四等三角点はほかのと違い、「地籍測量専用に使われる基準点」だということが分かった。
なるほど、ここ1,2年、史跡調査で野山を歩くと、あちこちで竹に挿したちいさな赤いビニール製の旗のような物を見るわけだ。
基準点となる三角点の標柱は10センチ角くらいの大理石製で、立っているのではなく、埋め込まれていた。さらにその周りをコンクリートでがっちりと固めてある。
「大切にしましょう三角点」のフレーズが効いている。
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コメント
こんにちは。
赤いビニール製の旗のような物には、そのような意味があってんですね。
投稿: アルバイト | 2008年9月 9日 (火) 23時18分