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日本の侵略度

憲法以下の法律を持ち、為政者が民意を反映し、軍事力の行使も民意による制限(シビリアン・コントロール)の下に置かれている国家を近代(市民)国家と呼ぶならば、第二次世界大戦以前の東洋おいては、日本以外に近代国家は無かった。

 と言うと、韓国人は「1910年に日本が合併という非道な侵略体制化に置いたから、朝鮮半島に近代国家ができなかったのだ」と非を鳴らすに違いない。

 しかし問題はそれ以前にあった。日本が欧米列強の進出を受けて世界情勢に目覚め、国内では攘夷派、開国派に分かれて争い、討幕運動の流れの中で多くの志士たちが苦悩し、時に血を流し合ってようやく国論を「王政復古」「文明開化」「四民平等」に纏め上げていたころ、朝鮮半島では李王朝の「尊王攘夷」のみで、いたずらに旧体制にしがみついていた。

 李王朝の両班(リャンバン)と呼ばれる「文官・武官」の貴族的官僚制は、王朝の蔭に自らの権益維持のみを願っており、西洋の進出に背を向けたまま、新しい世の創造を怠っていた。それでも一部の「志士」は、日本が李王朝の宗主国である清王朝を海戦で打破した頃(日清戦争)から、ようやく目覚め始め、日本をモデルに「維新」を遂行しようとしたが、結局のところ、「志士」たちは日本に亡命したり殺されたりで、ついに朝鮮人自らの手による「維新」は頓挫してしまった。

 だが、民衆の間に起こった「東学党」が叛乱を起こすに及んで、李王朝も体制の刷新を図らざるを得なくなり、王朝内部に軋みが出た時、あろうことか内院君派はロシアと手を結ぼうとしたのであった。満州瀋陽まで南下して来ていたロシアが、もし朝鮮半島をも掌中に入れれば、日本との衝突は時間の問題であったのだ。これを心配したのが英国で、ために日英同盟協約が結ばれることになった(1902年1月)。

 一方、その八年前の日清戦争に敗れた清王朝は弱体化の一途をたどり、「義和団」という排外主義団体が屋台骨を揺さぶっていた中国大陸では、欧米列強、中でもロシアが進出し、義和団鎮圧後も協定を無視して北京に軍隊を置いたままであった。

 2年後に日本はついにそのロシアとの戦いに臨んだ。世界中の誰しも強国ロシアの前に、小国日本が勝てるとは思わなかったのだが、何と、案に相違して日本は勝利を収めたのであった。米国の仲介で結ばれたポーツマス条約こそ、日本が欧米列強に伍して名実共に「近代国家」の仲間入りをした記念すべき条約であったと言える。

 結果として、先の日清戦争は清王朝の没落を早め、後の日露戦争はロマノフ王朝の落日を誘った。したがって日本は好むと好まざるとにかかわらず、現中国政府、現ロシア政府の出現と確立の手助けをしたことになる(恩義を感じろとは言わないが・・・)。

 強大(に見えた)清に勝ち、もっと強大だったロシアにも勝ったことで、日本がやや傲慢になったのは事実だろう。しかし世界の植民地獲得競争のリーダーたる欧米の牙城の中に、東洋の小国が割り込んだのも事実であった。

 以後、東アジアにおいては欧米列強の思惑通りには行かなくなった。そのことが列強の危機感をあおり、折りしも勃発した第一次世界大戦がドイツの降服で終結し、その時に開かれたパリ講和会議の席上で、日本の全権次席大使として臨んでいた牧野伸顕(大l久保利通の次男で、牧野家へ養子に入った)が「人種差別の撤廃」を動議し採決にかけたところ、何と、賛成多数という結果になった。

 驚いたのが議長をしていたアメリカの大統領ウィルソンであった。彼は、他の議題については多数決で衆議を決しながら、この結果についてだけは「満場一致でなければならぬ」と、せっかくの表決を無視した上、早々とアメリカに帰ってしまったのである。何という傲慢であろうか!

 かくて、人種問題をめぐり、日米は抜き差しならぬ確執の状態に入っていったのである。<黄禍論>(黄色人種が災いをもたらすという偏見思想)が盛んに唱えられたのも、この頃からである。アメリカは、はっきりと日本を仮想敵国とみなし始めたのであった。

 その結果としての日米開戦であったことを忘れてはなるまい。

 戦争の勝敗はアメリカに微笑み、日本は惨敗を喫したが、その結果、世界中で<植民地解放><民族の自立>の大きなうねりが高まり、多くの植民地が解放されたのである。

 日本も台湾・朝鮮・満州を植民地にしていたのだ、そんなことが言えるものか――多くの戦後知識人およびマスコミの論調はこうであった。

 勿論、台湾・朝鮮――それと一応独立国家ではあったが満州帝国も――たしかに紛れもなく日本の「植民地」であった。だが、欧米の経営する植民地とはまったく違っていた。もっとも大きな違いは教育制度であったろう。

 なにしろ台湾にも朝鮮にも「帝大」と「師範学校」が設立され、台湾および朝鮮が自立的に成り立っていく基礎造りに、日本が明治以降そうしたような同じ教育政策が採用されたのであった。他方、欧米列強の植民地政策では、現地民の首長クラスの子弟のみを自国の高等教育機関に入学させ、いわば「洗脳」したあと母国に帰らせ、欧米植民地政策の代理人にさせるというシステムを採ったのである。

 日本が侵略と搾取を目的として、台湾や朝鮮に進出したとしたら、現地に自国と同じような教育制度を設立するというそんな金のかかる、暇もかかる制度を扶植する必要はサラサラなかったであろう。

 今度更迭された防衛省航空幕僚長・田母神氏の論文は、そのような点を強調した客観的な論文であると思う。

 今日の夕方のニュースでも取り上げられていたが、更迭の理由として航空自衛隊に対する信頼を失墜させたから」が挙げられていたが、歴史認識としては全くまともな議論がそう言われるのは腑に落ちない。

 それを言うなら「航空自衛隊に対するマスコミへの信頼を失墜させた」に過ぎず、多くの良識ある国民はそんなことは感じていないはずだ。

 マスコミと戦後知識人の「勝てば官軍(アメリカの同盟国)、負ければ賊軍(日本)」史観はもういい加減に脱却するときだろう。

 

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