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また菊の新品種!

ワケが分からないとは、この頃の庭の菊だ。おととい辺り、つぼみが膨らんだとき、なんか違うなァと感じていたのだが、開いてみると明らかに違う。これまでにない色合いで、上品な淡いピンクが現れた。1112kikunoshinshu_002

おととし現れた自称「日の出菊」の株から20本ばかりの挿し芽を採取し、根を出した15,6本を、今年の6月ごろ、庭の一角に並べて植えたのだったが、その中の一本がこうなった。

 色自体は今年の他の新株にも出てきているが、そっちは花の形がごく普通の野路菊のタイプだが、これは違う。ラッパ型に咲いている。

 このラッパ型は「日の出菊」の遺伝そのものだ。1112kikunoshinshu_001

手前がラッパ型「日の出菊」。奥が新種のラッパ型「淡いピンク菊」。

 今年はこれでもう新種の打ち止めかと思う。原種を入れると通算で6種類にもなった。

来年がマジ 楽しみだ・・・。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

干属川から出た青銅と 銅山開発の件もっと知りたい。
近くに海彦山彦にまつわる伝説や 長谷寺[奈良]神武に関係あり。
このあたりに絡む伝説はありませんか?
お忙しいと思いますが。教えてください。よろしく
電話は 090-8234-2284です

投稿: 澤田弘一 | 2017年2月23日 (木) 11時23分

澤田さんへ

 小生のブログの中、「肝属(きもつき)川流域散策(5)」で訪ねたのが下祓川にある「長谷観音堂」で、この観音堂を建立したのが、「カラカネ(青銅)長者」で、次のような伝説があります。(引用は『鹿屋市史』上巻)

 昔、都からやって来た炭焼き五郎治という人が山中の土の中から「青銅(製品)」を発見し、それを持って都に上がってから並びなき長者になった。その人は、かねてから大和の長谷観音への信仰があり、観音念仏のおかげと思った長者は再び当地に戻り、観音堂を建てて中に観音像を安置した・・・(要旨引用終わり)。

 祓川にはかって金銅の鉱山があったといいますが、カラカネ長者が長者になったのは鉱山を開いて儲けたのではなく、土の中から掘り出した「金銅製品」が都で相当高価に売れたからだというように書いてあります。
 その金銅製品がどのようなものだったのかは分かりません。

 一つ考えられるのは、都からやって来た五郎治という人は初めから何らかの「金銅製品」を目当てに世を忍んでわざわざ落ちて来たのかもしれないということです。
 その際に大和の長谷観音への願掛けをしたのではないか?
 炭焼きに身をやつして探しているうちに首尾よく発見できたので、感謝の意味で観音堂と観音像を作って安置したのではないか――。

 代々名家に伝えられた「家宝」というものがあって、それが行方知れずとなったが、何らかの情報を得てこの地方にあることが分かり、都からやって来た。もともと名家だから富裕であり、もちろんその青銅製品を売る必要もないし、まして家宝だから絶対に売らないのだが、御礼に再び大隅に下って金のかかる観音堂と観音像を奉納した。

 これはよほど富裕でないとできないことで、土地の人には「あの青銅のおかげで、儲かりました。」などと説明しておいた。そのことがこの地方にそのまま広まった・・・・・・・・。


 ちょっと空想的になってしまいましたが、こう考えると面白いストーリーになりますね。

 

投稿: kamodoku | 2017年2月26日 (日) 22時24分

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