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白水・海道町界隈(鹿屋市白水町・海道町)

鹿屋市の白水町・海道町は中心市街地からはほぼ西にあたる高台地帯で、花岡島津家のあった花岡町に行く途中にある。

 海道町は新しい地名だが、白水町は少なくとも江戸時代からはある地名で、花岡に島津氏の分家(一所持ち格)が置かれた時に、領地として「大姶良郷のうち、木谷村・白水村の2村が与えられた」と記録にある古い土地である。

 国道220号線郷ノ原トンネルを境に西に向かうほど標高が上がり、鹿屋中心部から来る旧国道220号線との合流交差点「一里山」は、120mの高さがある。1212siromizkaidoukaiwai_001

一里山交差点からは北西に向かうようになり、道はゆっくりとした上りになる。

 やがて「白水東バス停」が見えると、上りは終り、平坦な台地に入る。

 その先の道路左側に面して「白水観音堂」がある。1212siromizkaidoukaiwai_004

観音堂といっても木造の古めかしいのを想像していたら見過ごしてしまう。

 モダンなとんがり屋根だ。歩道際に建つ「白水観音堂」碑の裏には「平成14年建立」とあり、建立主は「真言律宗」の宗派の人である。

 碑に向かって左手には「六地蔵塔」が立ち、向かって右手には「青面金剛像」がある。1212siromizkaidoukaiwai_007

観音堂の横には不思議な凝灰岩製の祠(?)状の上屋が台座の上に設えられている。

 何だろうか?四本の柱の間には、減耗し尽された頭のない人物像のような物が見える。

 説明書きはないので、憶測するだけだが、おそらく最古・最初の「石造観音像」ではないだろうか。丸っこい石は「如意宝珠」だろう。

 廃仏毀釈のなれの果てとは考えにくい姿である。1212siromizkaidoukaiwai_006

窓ガラス越しに中をうかがうと、小さいながらもあでやかな観音立像がお立ち遊ばしている。

 後ろの来迎図も絢爛の一言だ。

 真言律宗の僧(か信者)が、上の原初の観音像のあまりの姿に涙し、かくも美しく再現したのではなかろうか。

 観音堂の隣には集落の墓があり、この辺りは古くから「聖地」の扱いを受けた場所だったのだろう。1212siromizkaidoukaiwai_010

白水観音堂から道はいくらか下りになり、1キロも行かないうちに鹿屋体育大学前の交差点に出るから、そこを左折。

 100㍍余りでもう大学に着く。大学内は2度ほど取材してあるので今回は、正門の向かい側にある「開学碑」を紹介する。

 赤い車の向こうのワシントンやしの立つ丘に碑がある。1212siromizkaidoukaiwai_009

幅4m強、高さ2m余りの、記念碑としては立派なものである。(が、いつ通りかかっても、人のいたためしはない)

 碑の裏面には開校に至るまでのちょっとした歴史が刻み込まれている。

 昭和47年に文部省が教員養成大学の新設構想を打ち出したところ、早速その翌年、鹿屋市が誘致を決め、期成会を設置している。

 それが功を奏し、また地元選出の国会議員の働きもあり、53年には「新構想の新設大学」つまり「国立体育大学」設置は鹿屋市に、と文部省で決定。鹿屋市は55年に必要な用地買収に取り掛かり、その年の内にすべての交渉を終えるという手際の良さだった。

 経緯を示した刻字のしたの台座に埋め込まれた地権者の総覧によると、地権者は130人余りと分かる。中でも地元の「本白水」姓「西薗」姓が多く、それだけで3割を占めている。1212siromizkaidoukaiwai_011 総面積37万㎡(37㌶)というから甲子園の10倍は下らない広さだ。

開学碑から海道町に向かう。

 ちょうど高隈山地の西の外れの二峰「横岳」と「平岳」に向かっていくような道のりになる。1212siromizkaidoukaiwai_013

古江バイパスの開通でめっきり交通量のおおくなった花岡への道を6~700㍍で、右手に「小薄町」「鳴之尾牧場」方面への分岐を見る。

 今見える道路沿いの周辺が元からの海道町だが、ここをのぼっていくと海道町の新しい住宅地が、どんどん上にあがって来ているのが分かる。1212siromizkaidoukaiwai_015

分岐から500㍍ほどの高台に、新しい家々が立ち並ぶ。

 あそこからは北側に高隈山系、南から西は錦江湾と薩摩半島が大パノラマで見えるはずだ。

 このあたりから花岡町に向かっての高台は、こんな家々が多くなっている。けっして別荘ではなく通常の家屋なのがうらやましい。1212siromizkaidoukaiwai_016

さっきの分岐まで下り、そのままクランク状に直進すると、昔ながらの狭い町道だ。

 その道沿いの元は畑だったところには、鹿屋体育大生のためのアパートが林立する。

 農家変じてアパート経営主の大きな家も建つ。1212siromizkaidoukaiwai_022_2

あと数十㍍で花岡中学校の裏門という所で、左手に「鎮守山遺跡」という看板があったので、入ってみる。

 発掘現場だが人は誰もいない。一箇所だけきれいな掘り跡が残されていた。

 深さ3m近くあるだろうか、薄いオレンジ色から始まって、下のほうには鮮やかなオレンジ色の層(アカホヤ=6400年前の鬼界カルデラ噴出物の層)が3~40センチの厚さで挟まっているのが分かる。1212siromizkaidoukaiwai_017

もう一箇所の発掘現場(稲荷山遺跡)が、ここから300mほど花岡町側の畑地帯にある。

 行ってみたところ、発掘作業員と発掘担当責任者(県埋蔵文化センター職員)がいたので、話を聞くことができた。

それによると、この二つの遺跡は時代的には縄文中期から後期、弥生時代の前期、そしてもっとも遺物・遺構の出土数が多いのは古墳時代の前期(4世紀)と後期(6世紀)だという。1212siromizkaidoukaiwai_020 また最初に行った「鎮守山遺跡」は全面調査になる可能性が高いらしい。

そこは花岡中学校のすぐ裏手で、花岡中学校の位置からして古江坂を登った突端にあって海岸を見下ろすような所だから、鎮守山遺跡も海岸地帯の古江との関係が深いかもしれない。1212siromizkaidoukaiwai_021_2

花岡中学校の正門の前から、鹿屋中心部方向を眺める。

 かっては鹿児島・垂水方面からの車がひっきりなしだったのだが、古江バイパスが開通してからは閑古鳥が鳴くようになった。

 バイパスは左から右手の空き地を通り、中央奥に見える鹿屋体育大学の裏を迂回して最初に紹介した「一里山交差点」にたどり着くよう計画されている。

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