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謎の地名「中福良」考

鹿屋市吾平町を流れる「姶良川」の中流、吾平町麓地区の上手に「中福良地区」がある。今そこでは大規模な水田基盤整備事業が行われている。1228ogawanotakitonakafukura_009

水田の高低を均し、水利が得やすいようにする事業で、農閑期の冬場にはよく見られる事業である。

 写真は中福良地区のもっとも上流側(南側)から写したものだが、水田の床土からすくい上げられた土の山がたくさん見えている。

 よく見るとさらさらとした砂地のようで、昔は川がこの辺りを流れていたのかもしれない。1228ogawanotakitonakafukura_015

この写真は同じ中福良地区を、東にある「玉泉寺公園」の近くから撮ったもの。

 後ろのうっそうと茂った木立のある丘ではなく、手前のなだらかに広がった地域こそが中福良だ。1230nakafukura_004

玉泉寺公園の方から中福良に入る際には姶良川に架かる「中福良橋」を渡る。1230nakafukura_006

左手の上流側を見ると、目通しで1キロほど先まで平らで、右奥の「鶴峰小学校」と左奥の「鶴峰橋」(写真では見えない)とが、この中福良地区の南の境界を形成しているのが分かる。1230nakafukura_005

反対側の下流を眺める。

右手から突き出ているシラス台地の先端を迂回した辺りの右岸に「小鹿酒造」の本社工場があり、さらにそこから100メートル余り行くと「吾平中学校」が建つ。

 その辺りまでが広い意味の中福良地区で、南北に1,5キロ、東西0,8キロほどの緩やかな河谷にすっぽり収まっている。1228ogawanotakitonakafukura_017

中福良橋から入った中福良集落は、ほとんど起伏のない土地で、道路も家屋もゆったりしている。1228ogawanotakitonakafukura_018

集落道を抜けていくと、あと100メートルほどで西の山すそを走る県道「中央線」に出るという所の左手に「田中八幡神社」がある。

 この神社は明治4年(1871)に、麓地区の中心から当地に移されたものだ。そこには「鵜戸神社」が建立されている(もちろん今もある)。

 田中八幡の旧名は「姶良八幡宮」で、鹿児島神宮の南域を示していると言うが、その当時の建立者は島津荘を拓いた「平季基」の弟「平良宗」であった。

 姶良八幡時代に奉納された古鏡に「長元4年(1031)」の紀年銘が入っているので、間違いないとされている。したがってこの神社は創建以来かれこれ千年の古社ということになる。(これより古い創建の神社は大隅半島では串良下小原の「万八千神社」など数社あると言うが、いずれも古文書や紀年銘のあるものが残っておらず、現在のところ確証には難がある。)1228ogawanotakitonakafukura_020

拝殿奥の本殿は昭和3年に京都の宮大工に造らせたという。透かし彫りをふんだんに施した格調高いものである。

1230nakafukura_003 田中八幡の前を通り過ぎて100メートルも行くと県道に突き当たる。

 そこから見た田中八幡神社は社叢林ですぐそれと分かるが、右手に立つ看板の下の田んぼの高さ(海抜)が異様に低いのには驚かされる。

 田中八幡より5㍍ほども低くなっているのである。

 実はかってそこは河道ではなかったかという疑いが持たれてくるのだ。するとこう考えられる。

 中福良集落はこの田中八幡を含めて、集落全体が川中島ではなかったか。単なる砂州ではなく恒常的に人の住める川の中の島ではなかっただろうか。

 地形を見ると、姶良川は上流の鶴峰橋の下をくだったら数本の川に分かれ、その氾濫によっていくつかの川中島が形成された。川筋は変遷しただろうが、その中で砂州のレベルを超えて人の住める島が生まれたか、または築かれた。それが現在も続いている中福良集落だろう。

 それを踏まえて、この何とはなしにめでたい集落名「中福良」の意味を考えてみる。

 「中福良」地名は常に「中福良」単独で使われ、けっして「上福良」「下福良」を伴わないのが特徴。このことから「中」は「上中下」の意味の中(ちゅう)でないことが言えるわけである。

 大隅地区には木造では最古の駅舎として有名な肥薩線の嘉例川駅があるが、その一駅手前には「中福良駅」があり、その辺り全体を中福良というが、嘉例川がすぐそばを流れ、ここよりは狭いが似たような河谷平野の只中にある。

 また薩摩半島の旧知覧町・永里地区の中福良も、永里川が河谷平野を形成したその只中にある。

 以上の事例から見えてくるのは「(人の住める)中の川原」という原風景だ。「川原」は「川中島」と言い換えてもよいが、この「なかのかわら」は鹿児島弁では「なかんこら」と言う。

 この「なかんこら(中ン川原)」の転音・好字化が「なかんくら→なかふくら(中福良)」で、発音こそ「なかんくら」だが、戸籍地名は「中福良」となって定着したのではないだろうか。

 「お前の生まれはどこだ?」 と聞かれて 「なかんこら(中ン川原)じゃ」と言ったのでは 「何だ、お前、川原乞食かよ」などと揶揄・軽蔑されかねない。そこで「いや、中福良じゃ」と切り返す。そんな人間心理をも考えてみたい。実は好字化(佳字化とも言う)というのは律令時代の古くからあったことで、襲が「曽於(の旧字体)」になったのは良い例なのである。

 中福良地名は、土地の形成とそこに住む人の心理とがあやなした珍しいネーミングで、けっして地名学で解くような「膨らんだ地形」などではない、とおもう。

 

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