旗山神社の柴祭り(肝属郡錦江町池田)-①1月2日
旗山神社は錦江町(旧大根占町)の山中の池田地区・川南に鎮座する古社である。
薩摩藩第9代島津忠国のとき、戦場に必要な幟旗用の竹竿を確保するため池田地区に竹を植えさせたことから「旗山神社」と命名された。今からおよそ560年ほど昔のことである。
竹については由来を聞かなければ分からないが、神社に来て見た目にはっきりと知れるのが大楠で、神社の向かいに壮絶な姿を見せている。
現況で高さは17~8メートル、幹周りは15メートルほどか。壮絶と言ったのは、戦後間もなくクスの洞に宿を借りていたある人物が、誤って火事を起こしたため、洞の内部、つまり幹の中が焼けてしまい(大やけど―と言うべきか)、樹勢がいちじるしく衰えたからだ。
宮司の前迫芳文さんによると、皮一枚でかろうじて生きているそうだ。
1月2日から4日まで、この神社の正月行事「柴祭り」があるというのでお邪魔した。
前迫さんの家の入り口には、正月らしく結界を示す竹が立てられその間に注連縄が張られていた。
9時ごろ集まってきた地区の神職方が、前迫宮司を囲んで新年の挨拶を交わすところから始まる。
正月の祝い膳を食し、茶を飲んだあと、おもしろい行動に出た。銘々が赤い化粧箱から櫛、かみそりを取り出しては、髪をすき、ひげを剃ったのである。
1月2日は何でも「事始め」とのことで、「櫛起こし」「かみそり起こし」だという(「起こし」は「始め」の意味)。
それが済むといよいよ今日の神事の場所である「安水の立神神社」に向かう。
安水集落は池田から西へ約3キロの所にある集落で、そこから広域農道を神ノ川に向かって下ること500メートルの川向かいに「立神神社」はある。
神社前には安水集落の人たちがおおぜい一行を待っていた。
赤い社殿の左手に聳えるのが「立神」で、数万年前にこの地を覆った噴火の噴出物「阿多凝灰岩」が流水によって削られ、高さ30メートルくらいのローソク岩となって残ったものだ。 ご神体は岩だが、修験の聖地となったため「六所・立神権現」と命名されている。
社殿の中で、早速祭礼の準備がなされた。
ここでは「田の神」を招き、安水集落の豊作祈願を行うという。
外では子供たちが「かぎ引き」に使うような二股の木の枝を手に手に、盛り上げられた土をかき撫で始めた。
牛が田起こしをしている間、神職たちが唱えごとをする。その歌の内容は、立神様への豊作へのお願いと、田起こしの良からん事への期待で、五七五の和歌のリズムに沿って歌われる古雅なものである。
だが、巧まざるユーモアも織りこまれている所が面白い。
このあと、牛が暴れて周りの大人たちに土を投げて回るという一幕があり、最後に子供たちの耕した田に宮司が籾を撒いて終了した。「田ほめ」「籾ほめ」「苗ほめ」など、とにかく誉めることで健やかな生育と、収穫がもたらされるという「予祝行事」がこれである。
2日はこのあとに安水公民館で「針起こし(裁縫の始め)」と「直会(なおらえ)」があってお開きとなった。
(写真はクリックすると拡大する)
(マップ:県道68号線=鹿屋・吾平・佐多線で吾平から12~3キロ南下すると池田地区。その中心地の川南に旗山神社はある)
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