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森永卓郎講演会(09.2.05鹿屋市リナシティホール)

2月5日の夜、鹿屋市の中心部にあるリナシティのホールで経済評論家・森永卓郎氏の講演会があったので、聴きに行った。

 颯爽と、とはお世辞にも言いがたいテレビで見る通りの風貌で現れた森永氏は、話の枕によくテレビで共演するハマコーこと浜田幸一・元衆議院議員のことを持ち出した。

 いわく――「ハマコーさんは、よく、やくざが国会議員になったような男だ――と言われますが、やくざなんですよ、本当に。今でも自民党議員の集まりには顔を出して演説をぶっています。誰も聞いていないけれど、誰も止めることはできません。怖いですからね。」

 こう言って笑いを誘った後は、いま話題の「金融危機」の話に移る。

 いわく――「アメリカの金融がサブプライムローンの焦げ付きで危機に陥ったことは、皆さんよくご存知でしょうが、サブプライムローンが単独で証券化されて市場に出回ったとしたら誰も買いはしませんよ、危ないことは分かっていますから。でも<福袋>に入れられて他の金融商品と混ぜられて売られたんですね。」

 なるほど「福袋」か。それならみんな「お得だろう」と思って買うかもしれない。

 いわく――「格付け会社があるでしょ。皆さんあれは公的機関と思ってらっしゃるようですが、あれは純然たる民間機関なんです。その格付け機関がサブプライムローンを元とするどうしようもない証券化商品を入れたその<福袋>に、最上位のトリプルAと格付けしたんです」

 なるほど、そりゃひどい話だ。

 いわく――「要するにババ抜きのババですよ。それもうんとこさ混ぜられていたんです。だから、普通のババ抜きではプレイヤーのうちたった一人がババを引いて負けるだけなのですが、今度のは皆がババを引いてしまったと言うわけです。詐欺に引っかかったようなもんですよ」

 むむ、こうなるとハイリスク・ハイリターンという何とかファンドの遣り口が可愛く見えるよ。アメリカの仕組んだ国家的詐欺なのか?いや、アメリカ自身の投資ファンドが軒並みがたがたになっているところを見るとそうではないだろう。第一、格付け機関は「民間」だからな。

これで思い出したのが「耐震偽装問題」で槍玉に上がった日本の「建築基準お墨付け機関」だ。あれは――国が規制していると建築確認がやたらに遅くなるから、民間に任せればよい――という「民主的」発想から始まったのだったが、結局、それに便乗したマンション販売会社が耐震欠陥商品を売りまくり、問題が発覚し、自らの首をしめてしまった。

 金が金を生むのが金融の世界だが、金を動かすのも、使うのも結局は人間だ。人間が金の洪水に押し流されては元も子もなかろう。

  人が金を使う。(正常だが、分相応という限度がある)

  金が金を使う。(異常とまでは行かないが、限度がある)

  金が人を使う。(こうなると明らかに異常だ)

 最後に森永氏は江戸時代の「夜這い」を挙げてこう言う。

 いわく――「江戸時代には夜這いという風習がありました。これはある家の娘の所へ、何人かの若者が夜忍び込むわけです。そうすると子供を孕みますよね。誰の子かは分からないので、当の娘に相手を決めてもらうわけです。逆指名ですよ。女の方に夫を決める権利があったんです」

 夜這いの話はいったい何のために出したのか、よく分からない。あるいはこの講演会の副題が「男と女の共生」だったか「平等」だったか忘れたが、何かそのようなカテゴリーのことを話さないといけないと考えたのだろうか。

 まず、これについては反論をしておく。「夜這い」は決して氏の言うような「乱交」のようなものではない。

 鹿児島には「嫁盗み(嫁おっとい)」という風習があり、実は若衆宿でワイワイ、喧々諤々やっている時に「誰がどの娘を気に入っている」とか、その反対に「どこそこの娘が誰それを気に入っている」などという情報が飛び交い、ある程度めぼしを付けた上で忍び込むのだ。言わば「確信犯」なのである。しかし、もし娘の親がどうしても反対したら、仲間が娘を「盗んで(拉致して)」、相愛の若者のもとへ連れて行ってしまう、という風習である(結局、親が折れる)。

 「若衆宿」はのちの「学舎制度」につながる、村々の立派な「青年男女の教育・評議機関」だったのだ。学舎制度がイギリス発祥のボーイスカウトに多大な影響を与えたことは周知のことだが、その淵源はこの「若衆宿」にあったといっていい。

 ところで、森永氏が江戸時代に盛んになった「夜這い」が、実は男の一方的な仕組みではなく、女に(身ごもった子の男親の)選択権すらあったと述べたことで、何が言いたかったのか、を類推してみると――

 米の相場以外、すべてが「実体経済」に裏付けられていた江戸時代をもう一度考え直してみよう、これからの世界経済のモデルになるかもしれない。

――というのではなかろうか。

 サラリーが米で換算されたりして・・・・・。そこまでは無理にしても、サラリーの一部に米を当てるというのもいいかもしれない。米の評価は、即、農村の評価につながり、過疎地や限界集落の再建を促す助けにもなろう。

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