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女男河原祭り(垂水市高城)

「女男河原」という字を「おんだんこら」と読めるのは、垂水市民とそれ以外では余程の祭り好きな鹿児島県人だけだろう。

 後者に属する私も、印刷物などで目にするだけで実際にはどんな祭りなのかは知らなかった。行われるのは4月の第一日曜日で、いつもこの時期は集落の総会やら、花見やらで行事が多く、見たくとも見ることができなかった。

 最近になってフリーになったので、今回、行くことができたのである。

 午前10時に始まると聞いていたので、9時に家を出、祭典のおこなわれる場所「三和センター」という当地の中心的な公民館に到着したのが9時40分であった。405ondankoramaturi_007

あいにくの小雨だったが、すでに多くの車が入り込んでいる。

 この大きな建物は何です?――と駐車誘導係の人に聞くと、三和センターの体育館で、そこでは祭りのあとの「演芸大会」が行われ、祭典は体育館の裏手でやる、という。405ondankoramaturi_002

駐車場に車を入れて裏に回るとそこはかなり広い、運動会でもできそうな広場だった。

 その一角、なるほど体育館の裏側近くの桜の木の脇に、テントが三つ張られており、その中を覗くと桜の木の下に祭壇が設けられてあった。

 程なくして、神事の開始を告げるアナウンスがあり、テントの中の人たちも立ち上がった。405ondankoramaturi_001

テントでよく分からないが、祭壇の奥には20年生くらいの桜が生えている。そしてその手前には、竹の棒を支柱にし、麻(すがそ)を付けた御幣と榊の束が「ひもろぎ(霊降木)」として立てられてあった。405ondankoramaturi_004

祭式次第通りに「招神」「祝詞奏上」「玉ぐし奉奠」「昇神」とすすみ、最後に大太鼓がたたかれて祭事は無事終了。

 氏子代表らと神主はこのあと直会(なおらい)に移るというので、その前に神主さんをつかまえて祭りの由緒と風変わりな祭りの名の由来を伺った。

 宮司さんは林さんという地元の方だ。

 話によると・・・・・

「女男河原」とは「御田河原(おんだのかわら)」のことで鹿児島弁では河原は「こら」となり、「~の」は「ん」になるので「おんだんこら」。この祭りは白山神社の祭りで(神社は高隈山系の白山=830m=に本社がある)、白山神社の領有する御神田のことを「御田(おんだ)」というが、その御田は本城川の近くにあって、それを管理するお百姓たちが一年の耕作の初めに本城川の河原に集まり、お祭りをする。祭礼というのではなく、むしろ今でもやっている集落の「おでばい(お出張い)」つまり一種の花見に近いもので、そこには「男女の逢引」のような雰囲気もあったろう。それで「おんだん」に「女男」を当てたのではないか。「男も女も誰も彼もこぞって」という意味の当て字でしょう・・・・・。

 というようなお話であった。さらに・・・・・

 お祭りは550年ほどは続いており、そもそも白山神社をこの山に祭ったのは、島津氏以前に垂水を統治していた「伊地知氏」の出身が越前で(居城だった越前井筒城から、井筒を伊地知に変えたらしい)、ここに入部した時に、越前と加賀の境に祭られている「白山神社」(祭神は菊理媛=くくりひめ。白山姫=しらやまひめ、とも言う)の分霊を当地に祭ったのが縁起である。春の例祭は3月19日に済んでいて、その時は実際に白山に登り、榊に御祭神を移して麓に下りてくる。祭る集落は「段」「上馬込」「下馬込」の持ち回りになっている。この三つの集落の人たちが、先に述べた「御田」の管理をする人たちで、いわば今日の「おんだんこら祭り」の当事者である・・・・・。

 とも言われた。

 なるほど、鹿児島ではきわめて少ない「白山神社」のある由来がよく分かった。

 また、「河原で花見(おでばい)」的な楽しみ方は、実は白山神社の御神田かれこれ以前のごくごく古い習俗だったのではなかったかとも思い至る。そのような例で歴史的に見えるものでは筑波山や佐賀の杵島山の「かがひ」があり(いずれも風土記に記載)、東アジアの山岳少数民などでは今日でも行われているのである。

 

 祭典はあっけなく終わったので、広場の刃物や鉢物、植木などの露店をひやかしたあと、かっては「おんだんこら」が開かれていたであろう本城川の川べりを辿ってみた。405ondankoramaturi_008_2

祭りの会場「三和センター」から南へ150㍍ほどの本城川に架かる「高城橋」から上流を望む。

 山塊のほぼ真ん中の二こぶピークの高い方が「白山」。405ondankoramaturi_012

「高城橋」から上流約1.2キロに架かる「田畑橋」。この右手(左岸)の集落が白山神社の御神田を耕作・管理していた馬込集落。

 白山のピークがまだわずかに頭を出しているのが見える。405ondankoramaturi_013

さらに上流に行くと「的場橋」が見える。いよいよこのあたりから本城川は渓谷となる。橋の右手(左岸)が段集落である。

 その割には広い河原がひろがっている。女男の(おんだん)集会のできそうな河原だ。せせらぎの音を聞きながらの「おでばい」は楽しかったろう。

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おおすみ祭礼と行事」カテゴリの記事

コメント

 「おんだんこら」には昔行きました。また、白山登りというのもよく行きました。中学生ぐらいになると一人でも行けます。
 また、川原の「おんだんこら」はいわゆる出店だったと思います。
 後年「御田」の名が「おんだん」になったとも聞きました。
 子どもの頃の思い出の多い「白山登り」と「おんだんこら」です。
 以前、郷里の年配の方のお見舞いに行ったとき「おんだんこらに行きたいなあ」とおっしゃっていたのを思い出します。

投稿: | 2015年4月11日 (土) 16時22分

 郷里は青少年期の、祭りはそれに彩りを添える心のふるさとだと思います。いつまでも続けられ、心がつながるように守っていきたいものです。

投稿: kamodoku | 2015年4月13日 (月) 10時03分

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