後期高齢者御一行さま御案内(あちこち)
一週間前に鹿児島市内に住む義理の叔父から突然の電話があった。
「6月1日に老人会の一日旅行でかのやばら園に行く予定だが、老人会の役員で下見をしておきたい。ついては案内を頼めぬか」――という内容であった。ばら園だけでなく、他にも見所があったら行ってみたい、というので2、3箇所の候補地を頭に入れて、今日を迎えた。
鹿児島市某老人会の三役。
―右から75歳(義理の叔父=前事務局長。現在は何とか部長)、81歳(会長)、72歳(事務局長)、平均年齢76歳だが、いまどきの高齢者は若い―
聞けば40人の参加だという。それも大型バスを借り切ってだそうだ。
ずいぶん豪勢な旅行だと思ったら、何と鹿児島市ではバスを無料で提供するという(ただしフェリー代は自己負担)。
「それだと、弁当代に飲み物代併せてひとり千円も徴収すればいい」そうだ。老人会自体からも補助が出るので、そういうことになるという。結構な話だ。
「ばあさんたちは喜ぶだろうな」
全体の3分の1ほどしか回らなかったが、そこここに鮮やかに咲き乱れるバラを見渡して、事務局長はそうのたもうた。
ただ、問題があった。というのは予定の6月1日まで果たしてこの鮮やかな開花状態が続くものだろうか――ということだ。
「まあ、そうなったらそうでもいいさ。公園の中の芝生の木陰で、みんなで弁当を広げるのが楽しみなんだから」
ばら園を出て、肝付町の国見トンネルを抜けた北方にある「銀河荘」まで走って昼食をとり、再びトンネルをくぐってから「二階堂住宅」(国指定文化財)を見学。
「おもて・なかえ」のL字型萱葺き住宅よりも、奥にある二階堂家の墓前に建てられた「献辞」碑に興味深々の三役。
「献辞」の主はカミソリの異名を取った故・後藤田正晴代議士だ。
そこには「対米戦に絶対反対を貫いた二階堂進氏」の文脈が踊っている。
続いて行ったのが「吾平山上陵」。神武天皇の父であるウガヤフキアエズ命の墓所である。
川向こうに見える鳥居の奥に大きな洞窟があり、その中に円墳がある――と古書には記されている。
吾平山上陵から鹿屋市街地へ向かう途中、鶴峰小学校に立ち寄る。
この小学校は義理の叔母が、戦後間もなくのころ初めての教員生活を送ったところだという。60年も前の話だ。
学校はずいぶん立派な建物になったが、肝心の生徒の数は当時の5分の1もいないだろう。過疎地の小中学校はどこもそんなものだ。
まったく「隔世の感あり」だ。
一行は桜島周りでかえると言う。途中の「鹿屋航空隊基地史料館」入り口まで案内してから別れた。
6月1日の天気がよく、また、まだバラが鮮やかに咲き続けていることを願いつつ・・・。
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