串良平和公園(鹿屋市串良町)
桜の咲き残りを期待したのだが、ほとんどが葉桜となっていた。
その代わりに咲き始めたのがツツジで、桜まつりの旗や提灯をを尻目に、見ごろをむかえているのが多い。
今度の日曜日(4月12日)まで「くしら桜まつり」だが、言い替えて「ツツジまつり」としてもおかしくないほど見事だ。
剪定の行き届いたツツジの群落の間には、旧海軍特攻隊の部隊ごとの慰霊碑が建ち、特攻に命を散らした隊員の名が刻まれている。
平和公園のシンボルタワー「慰霊塔」。
円墳のようなマウンドの頂上に、最上部にハトをあしらった白亜の塔が建つ。
斜面には「平和」と刈り込まれたツツジが見事だが、ようやく咲き始めたばかり。あと十日もすると全面的に開花し、目もまばゆいほどに咲き誇るはずだ。
塔に刻まれた「慰霊」という字は、建設時の内閣総理大臣「佐藤栄作」の文字である。
日本人でただひとりノーベル平和賞を受けた政治家だ。
沖縄施政権返還交渉に力を発揮し、ついにアメリカから返還をもぎとった。戦後日本ではアメリカと対等に渡り合えた数少ない政治家と言ってよい。
昭和20年3月に沖縄への米軍上陸が始まったが、それに打撃を与えるべくアメリカ艦船への体当たり(特攻)を実施するために各地から集められた勇士のうち、360余名が帰らぬ人となった。その名が慰霊塔の基台部分にぐるりと刻み込まれている。
大隅半島から特攻して散華した隊は、霧島市・曽於市・志布志市・鹿屋市・垂水市とほぼ全域にわたり、帰らぬ人となった隊員が飛び立った基地のある市町村では、鹿屋と旧串良町をあわせた1200余名というのが圧倒的に多い数字だ。知覧の陸軍航空隊基地からの900余名より多いにもかかわらず、あちらほど有名でないのは、ひとえに県都・鹿児島市から遠いからだろう。観光ツアーの対象から外れるほかなかったのは致し方ない。
もっとも特攻隊員に「有名だ、無名だ」などと言うのは失礼かもしれない。「どっちでもいいさ、日本が平和であるのなら・・・」という隊員の声が聞こえてきそうだ。
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