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打馬(うつま)町界隈(鹿屋市打馬町・王子町)

鹿屋市中心部の大手町信号から、鹿屋城とは反対の寿町方面への広い坂道を上がると200メートルほど行った左手に「市営緑山墓地」がある。墓地の中の道はそのまま打馬方面へ下っていくので入ってみる。506utsuma_002

入って最初の墓を過ぎるとすぐに見晴らしがよくなる。打馬地区の展望台といってよい。

 手前の田んぼは県立鹿屋農業高校の田で、毎年6月に田植えされた後、アイガモを放して無農薬栽培をする。

 その田んぼの家並みの向こうを肝属川が流れ、対岸には鹿屋小学校が見える。

 小学校の左手奥の高いビルは旧県立病院で、今は札元地区に移転して「鹿屋健康増進センター」の医療部門として統合発展した機関だが、廃ビルを撤去する予算が無かったかとか、地元の反対があったとかで、廃墟のまま放置されている。

 ミステリーの舞台にならなければよいが・・・。506utsuma_003

視点を右に(東に)ずらすと、打馬の中心地区が広がって見える。

 小学校の右手方向には裁判所、法務局、県の合同庁舎などが、国道504号線沿いに立ち並ぶ。

 そして家並みの中に一つの森がこんもりと茂っているのが分かる。506utsuma_005

撮影場所を変え、ズームアップして見ると、森の真ん中に社殿のような建物がある。

 あれは打馬地区の総鎮守「春日神社」だ。

 墓地公園を下りて、正面に回ってみる。 506utsuma_015

大手町に戻り、信号を右折して国道504号線を北に向かう。

 約400メートル先の二つ目の信号を右折し、100㍍も行くと鳥居が目に入る。506utsuma_012_3

鳥居から拝殿まではほぼ一直線で、周囲の道路からは少しずつ登り坂となり、拝殿の手前で一段高くなる。506utsuma_014_2

拝殿の奥に鎮座する本殿は千木を乗せた立派なものだが、そこはさらにまた一段高くなっている。

 どうも円墳の上に乗っかっているようなのだ。手前の鳥居からの一直線の高みは前方後円墳の「方」の部分ではないだろうか。

 以前からそんな気がしていたのだが、今回、緑山墓地から眺めてみて、いよいよその感を深めた。

 因みにこの神社は祭神は奈良の春日大社と同じ「タケミカヅチ神、アメノコヤネ命」で、再建の棟札に「天文3年(1534)藤原忠吉」とあるそうだ(『鹿屋市史』による)。506utsuma_011

春日神社を後にして、左手の道を進むと100㍍余りで肝属川に出る。そこに架かるのは「山中橋」で、橋から下流を見るとすぐそこで川が二手に分かれる。

 右手は本流だが、左手は分水路だ。

 これは昭和51年に起きた鹿屋大水害を教訓に、災害対策を立てた時に考え出された放水路計画の中の「トンネル(隧道)案」が実現したもので、珍しい対応策だったといえる。

 肝属川が右に大きくカーブをするその一角を切り裂き、向こうに見えるシラス台地の下をくぐらせたもので、全長2,7キロ、うちトンネル部分は1,6キロ強。平成12年に完成を見て以来、たしかに水害は発生していない。506utsuma_007

鹿屋分水路の入り口。ぶち抜くシラス台地の高さは比高で40メートル弱。506utsuma_001_2 手前を横切るコンクリートは川東用水路。こちらは鹿屋中心部を迂回し、分水路の出口(新川町)の前を通過して川東地区の田んぼ地帯まで通じている。

 トンネルが無い分、分水路より2キロ以上は迂回して流れることになる。506utsuma_010

鹿屋の中心部を通る川東用水の取水口がこれ。「和田井堰」といい、分水路の分岐点より500メートルほど上流にある。506utsuma_009_2

和田井堰の下流左岸には「和田井堰公園」がある。

 広い芝生広場と、右手のシラス台地からの湧き水を引いた人工の流れと池が、憩いの場を提供している。

 9月になると川東から水神祭りの踊り連がやって来て、感謝の踊りを奉納する場所でもある。

 

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