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孕み女と「うない」(求菩提山・国玉神社)

図書館で借りてきたビデオ『九州の民俗芸能ライブラリー・シリーズ』(九州電力製作)の中の「求菩提山お田植え祭」を観ていて「あれっ、ここでもやっぱり」と思った。

 同じシリーズで「阿蘇神社のお田植え祭」に登場した「うなり」という「女性の祭礼奉仕者」とそっくりの「うない」が、この祭礼においても登場したのだ。

福岡県豊前市にある求菩提山は標高782mとそう高い山ではないが、大分県との県境に聳える「英彦山(1200m)」とならぶ修験道の聖地である。

 その中腹に「国玉神社」があり、毎年3月29日には「お田植え祭」が行われている。祭礼は典型的な「豊作予祝」の神事だ。523uchinouraoosakikubotesan_023

求菩提山の麓を流れる佐井川上流の谷間に国玉神社はある。523uchinouraoosakikubotesan_024

国玉神社の中宮からみこしが出て、「仮屋」と呼ばれるお宮へ行き、その前の広場に結界が設けられて「お田植え祭」が催される。529kubotesanotaueshinji_001

豊作予祝の祭礼の流れは――清めの舞い→畦刈り→田打ち→田鋤き→モミ播き→田植え――と米作りの順序どおり進行するが、小学生の扮した早乙女・早男による田植えのあとに登場するのが「孕み女とうない」である。

 529kubotesanotaueshinji_002

孕み女もうないも、男が扮するのだが、これは「田に植えた稲が十分に実を結びますように」という予祝であることは言うまでもない。

 ここで注目したいのが「うない」という女性である(写真では右が孕み女、左が「うない」)。

 「阿蘇神社のお田植え祭」では「うなり」という一群の女性が登場して、仮屋ごとにお供物を供え、また回収して回るのだが、求菩提山の国玉神社の祭礼では「孕み女の介護をする女性」としての役目があるようだ。

 「うなり」は沖縄では「おなり(神)」と呼ばれる姉妹神であった。

 また邪馬台国のことを記述した「魏志倭人伝」中の倭人国家のひとつに「投馬国(つまこく)」があり、その国の王は「ミミ」、女王は「ミミナリ」と言ったが、女王は「ミミ(王)のなり(姉妹)」であり、これは後世の琉球王国において「国王―聞得大君(きこえおおきみ=国王の姉妹または姪のうちのひとりが就任)」という「祭政一致的国家体制」が営まれていたのと軌を一にしている。

 何が言いたいかというと、「うない」は「うなり」の転訛であり、「なり」は投馬国語の「ミミナリ」の「ナリ」と完璧に重なる「(女王に匹敵する高貴な)女性」を表しているゆえ、九州北部を除く中九州以南は「倭人伝」の一国である「投馬国」と同一文化圏にあったとしてよいのではないか――ということである。

 因みに私見の「投馬国」は鹿児島・宮崎両県をほぼカバーする広大な国家であった(戸数五万余)。

 邪馬台国は「福岡県八女市周辺」で狗奴国はほぼ今日の「熊本県」であることは動かせない。

 また「伊都国」は末盧国すなわち唐津市の東南の松浦川を抜けたところの佐賀平野の西「佐賀県小城市」あたりであって、福岡県の糸島郡や前原市では有り得ない――このことは私見のみの「新説」である。もし伊都国が糸島・前原市であったら壱岐島から直接船を着ければよいのである。なんでわざわざ唐津から海岸沿いの難儀な道を歩かねばならぬのだろうか?このことについての合理的な答えをこれまで聞いたことがない。

(邪馬台国論は別の機会に改めて書くことにしたい)

 

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