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「戻り梅雨」明けの予感・・・?

朝の太陽が、障子の向こうに、起きる時刻の来たことを久しぶりに知らせてくれた。

6時半、ダンベル負荷付きラジオ体操をしに庭に出てみると、向こうの山に低い雲がかかっていた。だが、その上空には青空が広がっていた。729tuyunoharema_001

上を見上げると、おやおや、真夏の雲ではない「すじ雲」が浮かんでいる。729tuyunoharema_002

よく見ると、さらにその上には「高層雲」が・・・。これじゃ、まるで秋だ。729tuyunoharema_005 

少し北に目を移すと、これはひつじ雲かおぼろ雲か・・・、天気は下り坂なのか?

 まず、よくは分からぬこの頃の天気。

 案の定、昼過ぎに雷鳴をともなう驟雨が降った。涼しくなるかと思ったが、そんな事はなかった。

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明けない梅雨?

7月12日の梅雨明け宣言後、まずまずの順調な夏空が続いたが、肝腎の皆既日食の22日が曇天となり、次の日は晴れに戻したものの、それからはずっとぐずついた天気となっている。

 今朝は明け方から降り始め、9時半を回った頃、雷とともに結構強い雨が降った。726akenaituyu_004

玄関先に出てみると、タイルは水を打ったように濡れ、植木鉢には水が溜まり始めていた。

 今年の梅雨は空梅雨で、傘を差さなければならない日が3日程度しかなかったが、梅雨明け宣言後、2週間で梅雨の期間(6月10日~7月12日)の降水量に匹敵してしまったのではないかと思う。

 このことも異変だが、九州北部や瀬戸内地方ではもっと大変なことが起こっている。

 梅雨末期の集中豪雨が21日から各地を襲い、もう死者が15人ほどになったろうか、まるで鹿児島のことわざ<人がケシまんと、ナゲシは上がらん>そのままだ。(ケシは「け死」で、「け」は強調の接頭語。ナゲシは梅雨のこと)

 一昔前まで、このことわざは鹿児島では事実として生きていたのだが、ここ4,5年、梅雨末期の豪雨現象は確実に北上したようで、九州北部や中国地方にその領域を移している。

  ――「今まで生きてきて、あんなにすごい雨は初めてだった」

 山口県防府市を襲った集中豪雨の被害者は、異口同音にそう言っている。

 それでも降り始めからの総雨量は300ミリ程度で、この位の量なら鹿児島では珍しいことではない。台風時の雨だと日量800ミリなんて事もあった。シラス台地は雨に弱そうだが、照葉樹林さえ生えていれば、そうもろく崩れることはない。

 要は「降られ慣れ」していない地域だったということだろう。ために役場の防災情報(避難勧告や命令)も後手後手に回り、被害をいっそう大きくしたようだ。

 梅雨末期の豪雨前線が北上したあと、すぐに消えて行かない理由は、どうも「太平洋高気圧が弱い」ためらしい。強ければ鹿児島あたりで、南下する大陸の気団と激しく一戦を交えて<人をケシました>あと、ただちに北へ張り出して梅雨前線を雲散霧消させるはずだが、弱いために大陸気団を北方へ押し切れないでいるのだろう。中国地方あたりで梅雨前線はまだもたもたしているような塩梅だ。

 それにしても、こちらは昨日今日と梅雨のぶり返しのような天気。

 平成5年のようにならなければよいが・・・

 平成5年8月6日はそれまで梅雨のように降っていた雨が、その前日から6日にかけて、時間雨量で100ミリを超え、日間雨量では1000ミリ位まで降り込んで、鹿児島市内を流れる「甲突川(こうつきがわ)」に洪水をひき起こした。そして何と、伊敷(いしき)地区を通る国道3号線が川になり、そこで人が溺れ死んでいる(!)。

 また、幕末を中心に造られた「五大石橋」がほとんど流されるか破壊され、奇跡的に無傷で残った「西田橋」(城下へ出るときの参勤交代橋)も、災害復旧工事と今後の防災のために移設を余儀なくされた。いわゆる「激特」(激甚災害復興特別工事)問題として、その是か非かが、その後半年以上も新聞紙面を賑わしていた。

 さて、その同じ平成5年の夏に、自分たち一家は肝属郡田代町の大原地区に農業をしに移住したのだが、来る日も来る日も雨模様で、早期米の収量が60パーセント作(6分作)という前代未聞の大凶作だったと聞いて驚いたものだ。

 平成5年夏の雨天の極めツケが、9月3日に襲来した台風13号であった。未明から強い風になり、朝10時頃になると立てた雨戸がきしむほどになった。こりゃ、もう避難しなければ―と思い、荷物をと思う間もなく、一枚の雨戸が吹き飛ばされ、あわてて小学2年生の長男・幼稚園の長女の手を引き、妻とまずはすぐ上の家に避難した。

 ところが、その家でも玄関口の明かり採りのガラスが強風で割られ、それどころではなくなり、隣家の家人と一緒になって近くの大原小学校に急いで避難したのであった。だが、小学校でも既に避難してきた人たちの休んでいる体育館の屋根がめくれ上がり、雨風が吹き込むようになり、移動した挙句、結局、校舎の廊下で一晩過ごす羽目になった。

 あくる日は惨憺たる有り様―。集落で屋根の無事だった家を探すのが大変なくらいで、応急のブルーシートがかぶされつつあった。自分たちの借家もやはり屋根に穴が開いていたので、応急の手当てをしたが、それよりも驚いたのが納屋の倒壊だった。中にあった古い道具・器具・冷蔵庫・洗濯機などはガラクタになり、すべて処分。また納屋とはいえ太い柱は片付けるのに一苦労だった。

 この13号台風、雨がさほど降らなかったのは幸いだったが、なにしろ風の強さは半端ではなく、役場の風速計は「78m」を指して吹っ切れていた、と後日、役場の人に聞いた。気圧はたしか920ミリバールを下回っていたはず。もう二度とあんな台風には来て欲しくないものだ。

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皆既日食フィーバー

鹿児島の離島で、今世紀最長の皆既日食が見られると喧伝されてきた天体ショー。昨日は鹿屋で午前10時56分頃、厚い雲の少し薄れた隙間から「部分日食」が見えたそうだが、自分は気付かなかった。

 肝腎の最長の皆既時間を観測できるはずの「悪石島」などのトカラ列島は、軒並み曇りまたは雨の悪天候で、鳴り物入りで渡島した人たちには気の毒な結果となった。

 結局、太平洋航路で見たグループと、雲の上の飛行機で見たグループだけが「恩恵」を受けたということらしい。

 それにしても、このフィーバーには疑問が湧く。一言でいえば「お天道様が隠されることが、そんなに見ものなのか」ということだ。

 などと言うと、観測者から「稀な出来事で、一生に一度あるか無いかじゃないか。しかも、あの皆既の神秘さといったら、この世のものとは思われない。素晴しい!」722kaikinisshokunhk_001

昨夜(7月22日)のNHK7:30特集番組より。

 (皆既から少し戻したところで、いわゆるダイアモンド・リング)

 確かに、めったにお目にかかれるシーンではないが・・・。722kaikinisshokunhk_002

月の径と太陽のそれがぴったりと重なる、というのは、地球上のとある一地点では、50年あるいは100年に一度かもしれないが、地球上にあまねく観測点を網羅すれば、10年に一度くらいは見られるはず。

 まして部分日食など、毎年のようにどこかで観測できる。

 「黒い太陽」(黒部の太陽―ではない)は確かに神秘、もしくは不吉であろう。人間業でもないであろう。

 だが、それも日々粛々と行われている太陽系の寸部の狂いの無い運行があってのことだ。むしろ日々の天体運動こそが神秘であり奇跡ではないか。

 そこに宗教性を感じる向きもあるが、「お天道様、明日も出てきておくんなさい」と願う気持ちは誰にもあるはずで、そのことは万国(人類)共通だろう。宗教が絡んでくるとややこしくなるので、こんな素朴な気持ちをそこにいつもある(見えるのは昼間だけだが)太陽に託せば、話は簡単だ。

 人類一緒に「お天道様」に願う(祈る・頼みにする)ことを「共通の原理」にすれば、一番分かりやすい世界平和への道になる。

――閑話休題――

 邪馬台国論の泰斗である安本美典・元産業能率大教授は、ヒミコを「天照大神」になぞらえる説を採り、<アマテラス大神が「天岩戸」に隠れると世は真暗闇となり、手力男神がそこから引っ張り出すと天地は再び明るくなった>という「天岩戸説話」は、ヒミコ時代にあった皆既日食をうまく利用してヒミコの神秘的統治の必然性を演出したものだ・・・・・と考えておられる。

 しかし昨日経験したように、真っ暗になるといってもわずか数分のことである。これが四日も五日も続いた後にようやく真暗闇の恐怖から開放され、それがヒミコの力(祈り)によるものと説明されたら「ヒミコ様はキリスト(救世主)なり」と崇拝されるようになるだろうが、数分の暗闇では誰も狂乱状態などになりはしないだろう。

 したがって「ヒミコ=アマテラス大神説」は成り立たないと思う。第一、もしヒミコがアマテラスなら後継者の宗女「トヨ」は誰であるのか。また、産んだとされる「アメノオシホミミ」以下の五男を誰に比定するのだろうか? それらについては「関係ない」と無視てしまうのだろうか? やはりアマテラスを含む関係者の比定までしておかないと、関係史料の「いいとこ取り」になってしまうだろう。

 誠実な論考で信頼置ける学者だけに残念だ、そこだけは考え直していただけないものか。

 

 

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相も変わらぬ<邪馬台国論争>

昨日の日曜午後、時々見ることのある「そこまで言って委員会」(毎日テレビ?)で、<ミステリー・邪馬台国・九州説か畿内説か?>というようなタイトルを掲げ、二人の、それぞれを代表する学者が持論を展開していた。

 この番組では、質疑を交えた上で、最後にゲストコメンテーター8氏にどちらを支持するか軍配を上げさせたところ、ちょうど4対4の五分で終了した。はじめから五分五分で終わるように仕組んだ嫌いもあるが、テレビでこういう論争を取り上げること自体、よいことだと思う。

 それにしてもいただけないのが『畿内説』だ。

 春成秀爾という橿原考古学研究所だったかの所長が、畿内説の代表者だが、魏志倭人伝の行程記事の九州の北岸から「南至る邪馬台国、水行十日、陸行1月」という部分の方角「南」を「東」の誤記とする畿内説が多い中で、氏は朝鮮で15世紀はじめに描かれた地図『混一彊理歴代国都之図』に日本列島が東西ではなく南北に書かれていることを理由に、「南は誤記ではない。国都之図のように古代人は日本列島を南北に長いものと認識していた。したがって、九州島から南へ船で十日、歩いて一ヶ月をたどれば畿内に到着する」という自説を述べていた。

 ところが『国都之図』の写しで、ちゃんと東西に長く描かれているものが長崎県の寺で見つかっている。これをどう理解するのか、というか、申し開きをするのか、聞いてみたいものだ

 いずれにしても、魏志倭人伝の行程記事をよく読めば、邪馬台国は九州島を出ることはない。「畿内説」の人はもういい加減に「魏志倭人伝」から離れて、つまり魏志倭人伝など無視してもらいたいものだ。

 魏志倭人伝には「邪馬台国の東、海を渡った所にも倭人(倭種)がいる」とあり、中国地方・四国地方・畿内・それ以東にも倭人がいると言っているのだから、魏志倭人伝の内容については考慮せずに、どうぞ自由に古墳なり、弥生墳丘墓なりの考古資料から「倭人論」および「大和建国論」を展開してもらいたい。

 邪馬台国が九州島に存在したことは「魏志倭人伝」の行程記事から明らかであるが、ただ九州説の弱点はー実は畿内説でも同様なのだがーやはり「考古資料偏重」で、ために九州島最初の国として描かれる「末盧国(唐津市)」の次に、東南へ陸行で到達する「伊都国」を福岡市西部の「糸島(前原市)」と安易に比定してしまっていることだ。

 前原市の数々の王墓に埋納された巨大な鏡や剣・碧玉などの考古資料に幻惑され、船で行けるはずの糸島へ陸行するという奇妙さや、唐津から糸島なら東南ではなく「東北」であることなどに疑問は感じないでいる。

 このことが畿内説論者をして堂々と「南」は「東」の誤記であると言わしめる理由にもなっている。つまり「九州説も東南を東北に勝手に読み変えているじゃないか。それなら南を東に変えても文句は言えまい。同じ90度の転換なのだから。」と言われることになるのだ。

 私見では方角を一切いじらずに、唐津から東南を流れる松浦川沿いに行ったとする。

 また、距離表記の「水行千里」は「航海日数の1日」(「海峡渡海一日行程論」による)、「陸行百里」は「徒歩日数の1日」と換算できるものとして、おおむね福岡県八女市あたりが邪馬台女王国であろうと考えている。敵対していた南にある「狗奴国」はおおむね「熊本県」、「投馬国」は「鹿児島県と宮崎県(薩摩・大隅分立以前の日向国)」であることは動かせない。

 邪馬台国論については、おいおい何回かに分けて書くつもりである。

 ホームページ『鴨着く島おおすみ』には既に掲載済みだが・・・。

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獅子目ノ滝に行ったけれど・・・(鹿屋市獅子目町)

暑い! けさは朝からよく晴れ、9時過ぎに玄関口の温度計を見ると、もう29度近くなっていた。

 そうだ、あそこに行けば涼しかろう、と「獅子目ノ滝」(仮称)を見に行った。我が家から南へ約5キロ。一番近い滝だ。718takimi_012

獅子目集落の最奥の農村地帯。この左手から住宅裏の山腹をまいて登り、向こう側の谷筋を目指す(奥に見える平らな山頂は横尾岳=426m)。

 手前の畑はタバコで、上部から半分くらいの葉が既に収穫されている。718takimi_011

1キロも行かない所、ちょうど「皇太子殿下御成婚・記念造林碑」が建つあたりに軽トラックが停められ、手前には青いホース。そして、エンジン音が響いていた。

 ホースの先のガードレールまで行き、下を覗くと、ひとりの老人が何やら作業をしている。718takimi_010

―こんにちは!何をしているんですか?

いやあ、水を汲み上げているんだよ。田んぼの水が足らんので。

―そこから上にですか?

そうそう、道路脇の水路まで揚げるんだが、ホースが細(こま)んかでなあ、なかなかじゃ。

 

岩肌から湧き出ている岩清水をいったん青い容器に溜め、そこに吸い込み器を沈めて水を汲み上げる。

 道路まで比高にして10メートルは優にある。ホースは径60ミリほど。エンジンポンプも小型の部類だ。ホースの径の4分の一も出ているかどうかだった。それにしてもそんなに水が少ないのだろうか。しかし、あと300mくらいで着く「獅子目ノ滝」を目の当たりにしたとき、その真実に呆気に取られることになる・・・・・。718takimi_008

これがその「真実」。

いつもなら上の大きな丸い岩の横を豊富な水が白い筋となって落ちているのだが、一見したところ「岩のオブジェ」が姿をさらしているだけだ。

いつもなら激流のはずの下の流れも、水溜りのようにとろとろと流れるだけ。

 ここまで水枯れとは思いもよらなかった。718takimi_003

仕方なく早々に立ち去り、さらに上の「水場」に向かった。せっかく来たのだからおいしい湧き水でも飲まねば・・・。

 滝からさらに林道を上がること500メートル、道路の左手の崖下から水が流れ出ている所がある。

 しかしここも水量が極端に少ない。かねての10分の一といったところか。でも飲む分には十分だ。やれやれ。718takimi_007

 清水を飲んで、横の涼しげな苔の水すだれに目をやると、そこに住みついているサワガニが、水の滴り落ちる苔の間から、のこのこと姿を現した。

 涼しそうだなあ、サワガニ君は――。

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梅雨明け宣言(2009年7月12日)

今日、7月12日、九州南部は梅雨が明けた。平年より1日早く、昨年よりは6日遅いという。去年も空梅雨だったが、今年も空梅雨だった。本格的に降ったのは3回ほどしかなかった。

 一方で奄美は7月5日が梅雨明けで、こちらは平年より7日遅く、去年より3日遅れている。平年の梅雨明けは6月29日だから、奄美が梅雨明けして2週間後にやっと九州南部の梅雨明けのはずだが、今年はそのタイムラグがわずか1週間に縮まったことになる。

 九州南部が次第に奄美同様「亜熱帯化」しつつあるのかもしれない。

 しかしそれだと説明できないことがある。我が家の庭に咲いているグラジオラスだ。712tuyuake_001

いつもなら5月の前半に咲きはじめて、おおむね1ヶ月。ちょうど梅雨に入るか入らないかの頃には枯れてしまうのだが、今年はやや遅れて咲き出し、それが梅雨明けの今日も咲き誇っている。

いったいこれをどう説明したらよいのだろうか?712tuyuake_002_2

その一方で、夏の終りから咲き出すはずのコスモスが早々と4月に咲き、カンナも5月中からずっと咲いている。

 暖春ならむしろ早く咲き出しそうなグラジオラスが遅れて咲く。

 奇妙な光景である。

 本格的な夏空の下、グラジオラスがいつまで咲いているものなのか、見守っていよう。712kosumosu

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川東町界隈(鹿屋市川東町)

「川東」とは、鹿屋市の中心を流れる肝属川が、中心部を過ぎて東に流れを変えた辺りの広い田園地帯を言い、川東地区は川の東というよりはむしろ北側の左岸地帯を指す。

 これに対して川の南側(右岸)は「川西地区」と呼ばれている。川西地区は鹿屋市のベッドタウンとして人口増加がかなり見られるが、川東地区は川西地区と似たような条件を持つにもかかわらず、ベッドタウン化は進んでいない。それだけに古い町並みが残っている。709kawahigashi_004

川東と川西地区とを結ぶ「大正橋」からみた川東地区の町並み。

 手前に川東田んぼ、奥に笠之原台地。その間に「川東用水」が流れ、家々もそれに沿うように、左右に細長く伸びて広がる。709kawahigashi_003

大正橋から肝属川下流を眺める。

 江戸時代は波見の河口からこの下を通って、さらに3キロほど上流の田崎神社の高台を望む辺りまで、三里半(14キロ)の船運があり、川舟が往来していた。709kawahigashi_002

大正橋のたもとから眺める「川東田んぼ」。

 植えられてまだ2週間くらいの普通作田が広がっている。

 肝属川中流の和田井堰から取られた用水路「川東用水」の賜物である。

 そこに見える溜め池は用水が通じているときだけ現れる。709kawahigashi_001

そばに行ってみると「昭和14年建立の水神祠」(手前)と「文政五年建立の水神碑」とが仲良く並んでいた。

文政五年といえば1822年だから、ざっと200年近く、川東用水以前に造られ、田んぼに水を与えてきたこの小さな溜め池を見守ってきたことになる。709kawahigashi_005

笠之原台地のがけ下を縫うように流れる「川東用水」に沿って、人家が細長く立ち並ぶ。709kawahigashi_006

台地へ上がる道の途中、左手の台地からがけ崩れがあったらしく、応急措置がしてあった。

 おそらく1月近く前の入梅直後の豪雨でやられたのだろう。

 比高にして8メートルくらいか・・・。それにしても、この手当てには、うーん、と感心させられる。709kawahigashi_007

抉り取られた急峻な崖を4段で補強しているが、各段はこのようになっている。

 太い杉の丸太を打ち込み、それに真竹を切ってきて、互い違いに引っ掛けて壁にしているのだ。

 現代的な材料を一切使わず、村人が自ら切り出して運び込み、共同で必死になって造った有り様がひしひしと伝わってくる出来栄えだ。

 まさに昔の人の協同の智恵、そして汗の結晶が、今も生き続けている!

切り通しの急坂を登りきると岡の上にもいくらか人家があるが、その一角に「川東古墳群」という石柱の立つ所がある。709kawahigashi_009

狭い石段を上がると、中央と右手に直径6~7メートルの円墳が2基、目に飛び込む。709kawahigashi_010

左手手前には中央と同じほどの物、その奥にはやや小ぶりの物、さらに一番奥には頭しか見えないが、最も小さい直径3メートル位の物があり、都合5基の円墳が、ごろんごろんといった風情で並んでいる。

 本土では見られない南朝鮮型の円墳だ。おそらく半島の戦乱か何かで落ち延びてきた半島人または半島系倭人の一族のものだろう。

 詳細はもちろん分からないが、「鹿屋=伽耶」説を補強するものだと思う。

 古墳群の奥は林になっているが、木々がなければ川東の田園と母なる肝属川が望める好位置にある。しばし上古代を偲んでみるのも悪くはない。

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シジュウカラが庭に

8時過ぎ、朝食後の茶を飲みつつテレビを観ていると、庭の方から聴き慣れないが親しみある鳥の声がする。

 庭を通過するだけなら、重い腰を上げるほどのことはあるまいと再びテレビに顔を向けるが、鳴き声が長いうえ、庭のT字型の洗濯物干しに飛び移ったりしているのが目に入ったので、そうっと立ち上がり庭に面しているガラス戸のところから覗いてみた。

 シジュウカラだった。

 特徴ある頭からのど元への黒頭巾。灰色の体毛。間違いない。

 鳴き声も典型的な「ピンカラ、ピンカラ」ではなく、若干「なまっていた」ような気がするが、とにかくこの地に来て6年目にして初めて庭に来たのだ(と記憶する)。デジカメを取りに走ったが、その間に我が家の庭を離れてしまった。

 惜しいことをしたと思った。だが、どうやら隣りの家の方で鳴いているようだ。

 あわてて、お隣りの庭が見える部屋に行き、ガラス戸から眺めると・・・、隣人が趣味で建てた無線通信アンテナ塔に、せわしなく動き回る鳥の影が見えた。704sijuukara_005

趣味とはいえこのレベルになるとほぼ「地球の裏側」との交信も可能だそうで、お互いに交信したという証拠のカードを交換するのが礼儀作法らしい。以前お邪魔した時にそんなカードの詰まったアルバムを見せてもらったことがあった。704sijuukara_004

一羽がアンテナを支えるワイヤーにとまっていた。オスかメスかは分からない。704sijuukara_001

こっちがオスかいな。

春の子育ては終わったのかい?

 なに?―新しいカップルです?

 とにかくつがいであることは間違いないようだ。704sijuukara_002

おや、後を向かれちゃったよ!

頭が向こう向きゃ、尾はこっち。704sijuukara_003

やっ! 飛び立ったぞ。

おや、真っ直ぐ向こうに行くんじゃないのかい?

ええ?―いちおう、さよならの挨拶です―って?

 へえ、関心だねえ。

 今年は3月の下旬頃に、庭に秋鳥のモズがやって来て面食らったが、シジュウカラがこの時期に姿を見せるのは普通なんだろうか?

 

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鴨着く島のアイガモ(鹿屋市池園町)

昼前、珍しく日が差してきたので、ちょっと川沿いに行ってみようかと単車で下りてみた。家から1.5キロほどの田んぼ地帯である。704aigamo_008

 このあたりは大姶良川の左岸で、上流の大姶良田んぼ、獅子目田んぼについで豊かな田園が広がっている。

 右手の土手の向こうの川が東へ流れ、飯隈田んぼに突き当たるまで、2キロ近くうねうねと田が続く。704aigamo_001_2

その一角になにやら青いネットを張り巡らした田んぼがある。

 アイガモ田だ。

 田植えしてから一ヶ月くらいだろうか、稲の高さは20センチを越えたくらいである。

 見渡したところ、アイガモの姿はないので、小屋をのぞいてみる。704aigamo_002

無人だった(いや、無鴨だった)。704aigamo_005

ネットに沿って歩いてみると、いたいた、10羽くらいが泳ぎ回っている。704aigamo_006

おそらく孵化後一ヶ月かそこらの幼鳥だ。

 もう一人前に頭を水の中に突っ込んで、餌をあさっている。704aigamo_007

 かれこれ併せると20羽くらいがせっせと「仕事中」。

アイガモはマガモとアヒルの合いの子で、飛ばないところはアヒルに、粗食に耐えるところはマガモに似ている。

 つまり、家禽として両方の役に立つ属性のみを活用するために、人間が作出した傑作である。

 アイガモがあさるのは水の中の小動物やプランクトンで、こうして水をかき回し、歩き回る(泳ぎ回る)ことで、雑草の繁茂が抑えられる。

 また糞が肥料になる。

 というわけで、除草の手間が要らず、肥料も少なくて済む。

 だが、それ以上に「アイガモが入っている以上、農薬や除草剤は使えないので、この田の米は安全・安心です」ということを消費者にアピールできるのが、価値としてはより大きい。 704aigamo_004

自分も実は昔、肝属郡田代町(現・錦江町田代)の大原地区で米を作っていたときに、アイガモ農法をやっていた。

 7,8枚の田でやっていたが、ある山沿いの田では猟犬がネットを越えて入り込み、噛まれたり追いかけられたりして5,6羽死んだことがあった。

 そんなことも、今となっては懐かしい・・・。

 この田はあと1ヶ月半くらいで水を落とすことになり(中干し)、その時にアイガモはお役御免になる。

 最初、田に放つ頃は500グラムもなかったのが、その頃には2キロくらいにはなっているはず。

 来年の繁殖用に4,5羽は残すが、あとは肉用に販売する。もちろん自家用にも食べるが、味は歯ごたえがあってさっぱりしている。なにより貴重なのが骨のガラで、鍋物の出汁としては最高だろう。残った出汁でラーメンの麺またはうどんを煮てみると、そのコクには誰しも驚くだろう。

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シュワちゃんの財政非常事態宣言

カリフォルニア州のアーノルド・シュワルツェネッガー知事が、7月1日ついに非常事態を発令した。「非常事態」といっても財政に限られているが、州政府が公権力を発動して財政の危機に対処するというものだ。

 何のことはない「金庫が底をつくので、払えるものが払えません。つきましては借用証書だけはお渡ししておきます。資金に余裕が出たら優先的にお支払いしますから、ちょっと待っててよ」ということらしい。

 その期限は7月末のようで、果たしてそんな短期間のうちに200億ドルとかいう債務をどうやって完済するかだが、筋から言えば「州債」のようなものを発行すれば資金は集められるのではないか。それさえ難しいのだろうか。

 確か春先にも、「金庫が空っぽになりそうだ」とか言っていたが、あれはどうやり繰りしたのか。オバマ政権が手当てをしてやったという話も聞いていない。合衆国政府ももうそんなこと構っていられないのだろう。

 なにせアメリカは名立たる「地方分権」国家だ。自分のことは自分でやれ―ということなのだろう。それはそれで筋が通っている。州の財政が破綻してもそれは自己責任であり、州民はそんな州政府がいやならハワイ州でもケンタッキー州でもどこでも好きな所に住めばよい。「自由」なのだから・・・。

 

 思えば確かにアメリカは「自由」だし、「自由に描いた夢」が実現する所でもある。

 単身移民であるシュワちゃんが、映画界で大スターになり、1代でアメリカでも最大規模のカリフォルニア州の知事になった。

 現バラク・オバマ大統領に至ってはケニア人留学生だった父と白人の母の子で、しかも4歳の時に父母は離婚し、父バラク・オバマ・シニアはケニアに帰ってしまった。

 前者は成功者がさらなる頂点を目指して実現した事例。後者はむしろ苦労人が刻苦勉励し、頂点に上り詰めた事例。

 経歴に大きな違いがあり、人さまざまな理解の仕方があろうが、共通しているのは、よそ者が来て頂点に立ったという点だ。オバマの母親は白人の在住アメリカンでシュワちゃんとは違うようだが、両親はスウェーデン系だそうだから、やはり、よそ者に近い。

 戦後、アメリカに負けたということもあって、何もかもアメリカがお手本とされて来た経緯がある上、今また「規制緩和だ」「小さな政府だ」「地方分権だ」とアメリカをさらなるモデルにした政治概念が叫ばれているが、「中国人でも朝鮮人でもアメリカ人でもケニア人でも、誰でも知事や首相になれる」というところまで踏み込めるのだろうか?

 日本では、まずそれは無理だろう。またカリフォルニア州のような地方が破産状態になっても、たとえば宮崎県が破産しても「財源委譲した上で破産するのは、その地方の責任だから、国は関与しない」と言い切れるだろうか。これもまた日本ではありえない話だ。

 地方において国が関与すべき点はやはり少なくない。財源委譲するから地方で勝手にやれ、では納税者が多くまたその額も大きい都市部はいいが、地方はたまったものではない。格差はますます広がってしまうだろう。

 「金をもっとよこせ、もっと地方に自由な金を使わせろ。国の余分な事業の負担を押し付けるな」と橋下大阪府知事などは言っているが、すべては資金の問題であるかのような考えでは逆に足元をすくわれるのではないか。

 話を「財政非常事態宣言」に戻すが、もしこのままオバマ政権が何もしない、となると、どうなるのだろうか?財政は破綻しても「州」は存在するだろうから、考えられるのは「債務帳消し」つまりは州財政のリセットだ。

 アメリカ版「徳政令」ということになろう。無事に済むだろうか?

 すべての債権者が余裕もあり忍耐もあればそれは可能だが、果たしてどうなることやら。

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300号達成!ありがとう。

平成18年(2006)10月10日、初めてのホームページ『鴨着く島 おおすみ』を何とか立ち上げ、並行してココログで始めたこのブログ『鴨着く島』が、最初の目標である300回を迎えることができた。

 読んでも読まれなくても、とにかく300回は続けたいと週に2回のペースで書いてきたが、時に読者から「コメント」をもらうとやはり励みになる。ありがとう、次の300回を目指します。これからもどうぞよろしく。630nemunoki_002

3年前の夏に、桜島を写しに行った垂水市の協和中学校の裏手の高台で、道端に葉を広げていた1メートルにも満たない「合歓(ねむ)の木」を採取して来て庭に植えたが、それがもう高さ3メートルを越え、葉を広げた直径は4メートル余りにも成長している。

 わがブログもこのように成長したいものだ。630nemunoki_003

 時には若々しく、時にはジジくさく、時には明るく、時には暗く、おおすみと人生の「合歓(よろこびあい)」を描いていけたら――と思う。

 目標は「おおすみ1万年史」の構築である。ヨロシクッ!

 華やぎと 哀しみともに 合歓の花

 

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