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田崎神社の夏越し祭(鹿屋市田崎町)

旧暦の6月末日(29日)は今年は新暦で8月19日だったが、田崎神社では旧暦通りの「夏越し祭(なごしまつり)」が行われた。

 花岡町の高千穂神社でもそうだったが、6月末日は年の前半の穢れを祓う「夏越大祓い」の日である。かってはどこの神社や集落などでも 「みそぎぞ 夏のしるしなりける」 という古歌にあるように、禊ぎ祓いで身を清めて無病息災を祈る行事があったらしい。

 今日は水行の禊ぎはお目にかからなくなったが、祓いの神事は各神社で行われている。田崎神社(正式名:七狩長田貫神社=ななかりおさ・たぬきじんじゃ)ではまず拝殿で氏子総代などを中心に祓いの神事を行ったあと、神社から高須の浜へ下り、そこで再び夏越祓い神事を行う。819tasakijinjnagosimaturi_003

10時半から神事が行われるが、その30分も前に法被を着た中学生が7人、談笑していた。聞くと田崎中の2年生だと言う。

 この子達は今日の行事の中で、「はなたかどん」と呼ばれる7つの「神能面」を掲げ、道中の行列に参加するそうだ。819tasakijinjnagosimaturi_004

10時過ぎに、神事が始まった。819tasakijinjnagosimaturi_005

神輿の扉を開け、入神のための祝詞をあげる。819tasakijinjnagosimaturi_006

町内会長ら氏子代表が玉串奉奠をする。819tasakijinjnagosimaturi_007

拝殿での神事が20分ほどで終わったあと、いよいよ巡行に出発。

 竹ほうきに似た物を持った「露払い」を先頭に、拝殿を後にする。

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中学生7人の掲げた「はなたかどん」は、田崎神社の正式名の「七狩長(ななかりおさ)」の象徴であるという。

 鼻が高いので「はなたかどん」だが、どうも天孫降臨の時にニニギ命一行の前に現れた「国津神・サルタヒコ」の故事に付会した面の造りのように思われる。

 「浜下り」は「天下り」ではないかと考えた果ての推論だが、いかに・・・。

 後ろに見える巨大な木の幹は大クスで、樹齢900年である。田崎神社本殿の由来は京都の加茂神社の分社というが(神社再建の棟札には鹿屋を支配した肝付支族・鹿屋兼明の永正元年=1504年=のがあったというので、再建後少なくとも500年は経っている)、この七狩長の時代から霊地として存在したのではないか、という思いも頭の中をよぎる。

 本殿の横に「西宮」(えびすさん)があるが、祭神コトシロヌシは天孫降臨より前に国譲りをしたオオクニヌシとは兄弟で、そうなるとサルタヒコ以前の話だ。819tasakijinjnagosimaturi_009

神輿が鳥居を出ると、昔ならそのまま担がれて行ったそうだが、今は軽トラックに載せられて「浜下り」に移る。819tasakijinjnagosimaturi_010

神社から車に揺られて到着した先は「高須三文字」という交差点の手前だった。

 ここから高須の旧国道220号線にそって、町の中を練り歩いていく。

 左手に見える岡には高須の総廟「波之上神社」がある。

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高須川に架かる「高須大橋」を渡る一行。819tasakijinjnagosimaturi_013

波之上神社前を通る。819tasakijinjnagosimaturi_014_2

高須三文字交差点から、ほぼ一直線に1キロばかり、国道が大きく左へカーブする所から海辺に向かう(白い建物は高須駐在所)。 819tasakijinjnagosimaturi_015

高須の浜はすぐ目の前だ。819tasakijinjnagosimaturi_016_2

海水浴場の砂浜を通って、右手に見える岡の麓まで行く。

 大潮でしかも干潮とあって、海水浴客はほとんどいない。819tasakijinjnagosimaturi_017

岡の麓とは言っても、岡とは独立した小さな岩礁(赤色凝灰岩)の手前で一行は止まった。819tasakijinjnagosimaturi_019

岩礁の手前の側面に神輿が置けるだけのスペースが設けてあり、うまく収まった。

 七面のはなたかどんもやれやれといった表情をしている(?)。819tasakijinjnagosimaturi_018

左に目をやると、いつもなら潮が洗っている「立神岩」も、歩いていけそうに見える。819tasakijinjnagosimaturi_023

11時半きっかりに、浜辺での神事が始まった。819tasakijinjnagosimaturi_024

隣りでかしこまる子どもたち。

 祓い清めの修祓や祝詞奏上、玉ぐし奉奠など20分ほどの神事のあいだ、チビちゃんたちがこのままの姿勢でいるのには感心させられた。819tasakijinjnagosimaturi_025

高須地区の氏子総代たちが玉串を奉奠する。819tasakijinjnagosimaturi_026_2

珍しいのは「遺族代表」の玉串奉奠だ。最初「遺族」と聞いたとき、終戦記念日も近いので「戦争遺族」のことかと思ったが、よく聞くと「初盆遺族」なのであった。

 要するに去年の盆以後に亡くなった人の遺族で、その代表者が玉串を捧げて、故人の冥福をいのるのだ。

 これは珍しい。よく祭事で一緒になる肝付町のKさんに話すと、旧暦6月末日がお盆の頃(旧盆)に重なり、それに故人や残された者の「大祓い」の意味が加味されたのだろう、とのことだが、同感である。819tasakijinjnagosimaturi_027

すべての神事が終了すると、参列者がビニール袋を持って神輿の横に集まっていった。お供え物をもらって帰るのかと思ったが、近寄ってみると三角すいに積み上げた砂を崩して袋に入れている。

 いったい何を? と近くの人に尋ねると、この砂を洗面器に入れ、それに水を満々と張って家の周囲に笹の葉で振り掛けて回ると言う。

 なるほど清めの意味だろうと合点する。『魏志倭人伝』に倭人の習俗として――死者を出した家では10日余りのモガリの後に死者を埋葬してから、一家揃って水辺で「操浴する」――とあるが、そんな遠い昔のことがかすかに思い出された。

 このあとそれら遺族を中心に故人をしのぶ「宴会」のような昼食となったようである(上のKさんの報告による)。

 仕事があったので最後までは見られなかったが、帰路はやはり車で戻り、田崎地区に入って一箇所の「御旅所」において神事を行い、その後は練り歩いて神社に戻ったそうだ。

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