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西都市を歩く(宮崎県西都市)

西都原考古博物館を訪れたついでに、西都市の見どころをいくつか回ってみた。

 まずは考古博物館のある西都原台地。海抜は平均70メートル、面積約1000ヘクタールに広がる古墳群は、3世紀から7世紀にわたって造られ続けた。

  前方後円墳はじめ円墳、方墳などの古墳は300を超えており、その数は一ヶ所としては日本一である。中でも「男狭穂」「女狭穂」という二基の巨大古墳は、九州では最大を誇る。1115saitobarutoikimekofun_043

 男狭穂塚。宮内庁により陵墓参考地に指定されているため、柵に囲まれて入ることはできない。

 杉木立の向こうに、巨大な墳丘がかすかに見える。

 墳長155m、高さ19mで、国内最大の帆立貝型古墳という。1115saitobarutoikimekofun_044

 男狭穂塚のすぐ西隣りに築かれているのが「女狭穂塚」で、こちらは典型的な前方後円墳で、5世紀半ば近くの造営である。

 畿内の河内地方の巨大古墳とよく似た造りだそうだ。

 墳長176m、高さ15m。後円部の径は96mもある。

 この墳墓も参考地となっていて入ることはできない。写真では杉木立の間に前方部の一部が見えている。

 地元の伝承では、男狭穂塚には「ニニギノミコト」が、女狭穂塚には后の「コノハナサクヤヒメ」が眠っているという。ロマン溢れる伝承だが、そうなると台地上にたくさんあるもっと古い前方後円墳には誰が埋葬されているのかの説明がつかない。ニニギノミコトが天から降ってくる前から地上にいたオオクニヌシの一統ということになるのか・・・。1115saitobarutoikimekofun_045

 西都市街地から上がってくると、広大な景観が広がるが、その入り口に近いところにはコスモスが見事に咲き揃い、多くの家族連れで賑わっている。

 その中に風変わりな「鬼の窟(いわや)古墳」というのがある。真ん中に直径37mの円墳があり、それを取り囲むように外堤を廻らしてある。この古墳は最も新しく、7世紀初頭に造られたようだ。

 西都原に祭られた最後の首長だろうと言われている。

 西都原台地から市街地に下り、国道219号線の信号を左へとり、妻北小学校のところの信号を右折すると、間もなく左手に「都萬神社」の入り口がある。1115saitobarutoikimekofun_022

 社殿の下まで来ると上はずい分賑わっている。そうか、今日は11月15日で七五三参りの日だった。1115saitobarutoikimekofun_021

 階段を上がり、鳥居をくぐると正装の親子連れが目立つ。

 女の子は特に美しく着飾っている。ここの祭神は「コノハナサクヤヒメ」だからという訳でもなかろうが、「この子の七つのお祝いに・・・」などという唄を思い出した。

 社殿の造りは荘重で、なるほど日向五社の一つとしての由緒を感じさせる。1115saitobarutoikimekofun_023

 社殿の裏の駐車場への路地に生えているさほど大きくない杉の木に幣飾りがしてあった。

 よく見ると「日下部塚跡」とある。日下部氏といえば古代日向の首長家の一つだ。ここに代々の墓地があったのだろうか。手前の石組みが、何だかそれを思わせる。1115saitobarutoikimekofun_014

 次に「日向国分寺跡」に向かった。

 都萬神社をでて、さっき来た妻北小学校の交差点を曲がらずにそのまま行き、稚児ヶ池まで行ったら左折する。

 そのままずっと南下して行き、「三笠」という信号を右折する。突き当たりの台地の上に国分寺跡はあるのだが、右手からクランク状に上がるので、ちょっと分かりにくい。付近の人に聞くのが一番。

 瀟洒な和風建築が見えたら、そこが国分寺跡だ。1115saitobarutoikimekofun_018

 国分寺跡といっても礎石の跡だけが残るばかり。しかもその規模は小さい。

 向こうに見えるのは「木喰館」で、江戸時代に有名な木喰上人が当地に滞在し、数々の木像仏を残したが、そのうちの6体の仏像を安置してある。1115saitobarutoikimekofun_020

 木喰上人は若くして出家し、55歳の時に日本全国回遊行を発心し、70歳の時に、日向にやって来たという。

 そしてこの国分寺に来た時、請われて住職を9年務めたが、その時に刻んだのが、「木喰堂」に残る大日如来像ほか五体の仏像であるらしい。顔に独特の柔和さがあるので、厳かというより親しみを感じる仏たちである。しかし仏像自体は思ったよりかなり大きい。

 日暮れも近くなってきたが、最後に西都市一帯を育んだ母なる「一ツ瀬川」を眺めておこうと思い、車を東に走らせた。「三笠」信号から道を東北にとる(寿屋デパート方面)と、一本道で市街地を抜け、10分ほどで「山角橋」に到る。1115saitobarutoikimekofun_046

 橋の向こうは西都原市街地。はるかに西都原台地の低い丘が見える。1115saitobarutoikimekofun_047

 さすがに宮崎県では大淀川に次ぐ大河。河口までまだ15キロ以上あるのに、川幅はすでに100㍍近く、ゆったりとした流れである。

 この川によって育まれた一大勢力が、西都原台地にたくさんの墳墓を造ったに違いない。

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