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普天間米軍基地移設問題と沖縄・日本

普天間の米軍基地移設をめり、民主党政権になってから連日のように報道されているが、この基地の移設は12年前に自民党とアメリカのクリントン政権との間で名護市のキャンプシュワブの辺野古沖に新たに海上基地を造成し、移転することで合意がなされていた。

 それなのに自民党政権では、移設先の自治体の反対が強いうえ、環境上の問題があるなどを理由にずるずると先延ばしをして来たのであった。

 そんな中で名護市の市長選が行われ、基地造成反対派が勝利を収めた。これでもう辺野古沖の基地新設は白紙に戻ったと言ってよい。

 この間、アメリカから日系議員が来日し、「アメリカは我慢の限界が来ている」と脅しとも取れるアドバルーンを揚げて帰ったが、そもそもアメリカが沖縄をはじめ日本各地に軍事基地をおいているのは何のためなのかをもう一度考えてみる必要があろう。

 多くの日本人は太平洋戦争で日本がアメリカに負けたのは、「日本にはアメリカのような自由な政治体制がないために、全体主義に走って軍靴の音に抗しきれず、やっても負けるに決まっているアメリカとの戦いに突き進んでしまった。愚かなことだった」というような史観を植え付けられている。

 そこには戦争の目的、つまり欧米列強の人種差別と世界植民地争奪戦からの解放という側面があったこと――がすっかり抜け落ちていることに気付かなければなるまい。

 アメリカは自由だというが、オバマ大統領のような黒人が自由にレストランに入ったり、大学に入学したりできるようになったのはわずかここ40年くらいのことである。太平洋戦争の頃は黒人や日本人を含む有色人種には自由が極めて制限されていた。皮肉なことだが、有色人種である日本人との戦いに黒人が参加することによって、黒人はようやく自由への一歩を踏み出した。

 それでも「公民権」(参政権・選挙権など)は与えられず、段階的にまず投票権が付与されたのは、ベトナム戦争中のジョンソン大統領の時代であった(1965年)。リンカーン大統領のあの「奴隷解放宣言」後、実に100年余りを要したのである。

 それに比べると対日占領政策の一環としてよい「在日米軍基地の存在」はまだ65年であるが、もうそろそろ日本もアメリカの「共産中国・北朝鮮から日本を防衛するため」というおためごかしに「ノー」を言うべきだろう。

 なぜ対中国・対北朝鮮問題が「おためごかし」かというと、北方領土問題を考えれば分かる。北方領土を占拠しているのはいったいどこの国だったろうか。

 もちろん現在のロシアであり、その前はソ連であった。このソ連はれっきとした「共産党の支配する社会主義連邦国家」であったわけだが、もし、共産主義の恐怖から日本を守るのが占領の目的であるというなら、アメリカはまずこの脅威を取り除かなくてはならなかった。

 取り除く、つまり日本固有の領土と国際的に何ら問題なくそう言える千島列島から共産ソ連を追い出すことを、アメリカはしようとしなかった。なぜなのだろうか?

 そこには「ヤルタ会談」の存在があり、特にその中の「対日密約」があったからだ。簡単に言えば、降伏後のドイツの分割になぞらえて、日本も「参戦すればソ連へは千島列島と南樺太を与えよう」と取り決めていたのである。その結果の終戦間際の火事場泥棒的なソ連の満州侵攻であり、千島列島の占拠であった。アメリカはソ連に戦勝者の列に加えるという「アメ」を与えることによって、日本の無条件降伏(完膚なき敗北)を完全なものにしたかったわけである。

 日本への軍事コミットメント(在日米軍)が、もしアメリカの主張するように中国や北朝鮮、ソ連の共産主義の脅威に対応するものであるのならば、紛れもなく共産党が牛耳っていた旧ソ連の千島列島占拠は真っ先に排除されてしかるべきだったろう。それをしなかったということは、もちろん「ヤルタの密約」が生きていることもあるが、太平洋戦争における戦勝国としての「権利・権益的誇示」と「日中の離間策」がアメリカのアジアにおける戦略の根底にあるからだろう。

 いまアメリカは、「中国の軍事費の伸びはすさまじく、危険なレベルに達している」などといって極東の不安を煽り、日本の中でも沖縄の米軍基地の存在の必要性を暗に正当化しようとしているが、これも50年にわたる日米安全保障条約の歴史から見ればこけおどしに過ぎまい。

 なぜならアメリカはもう中国の「竹のカーテン」を開けて38年が経ち、またさまざまな投資を行い、米中関係はこれまでにないくらい好転しているからだ。

 アメリカが沖縄はじめ日本各地に軍隊を置いている真意は日本を共産主義の脅威から守るのが目的ではなく、「日本を二度と再びアメリカに歯向かわせないため」が主目的であり、「そのように日本を操縦できるのは、太平洋戦争で勝ったから」であり、「そのことをいつまでも世界に向かってアピールしておくため」なのである。

 その根拠は「日米安全保障条約」という名の「日米同盟」であるが、これが対等な「同盟」に値しないのは以上の経緯からよく分かる。日本がアメリカの属国であっていいという人は別だが、日本は日本の独自性を踏まえた方針を決めるときが来たようだ。

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降灰の朝

いつものように朝6時半にダンベル負荷付きラジオ体操。かなり冷え込んでいる。霜もきつい。だが、顔を向けている東の空は実によく澄み渡り、朝焼けの美しい空に肝属山地のシルエットが黒々と横たわっていた。

 終わってから、老犬ビータローに餌をやり、南の空を見ると、上空は晴れているのだが、南に横たわる横尾岳連山が、薄汚れたように霞んでいる。22127kouhainoasa_004

 見事にやられている。桜島の灰の直撃を受けたようだ。22127kouhainoasa_005

 日の出が間近いので、手前のビニールハウスは光を受けてくっきりと見える。

 だが、向こうの横尾岳連山は降灰の真っ只中だ。

 ここからは西方にあるので、こんな晴天の日であれば、太陽光をまともに受けて写真写りは最高のはずなのにこの始末。

 おそらく夜中の2時とか3時頃に噴き上げた灰が、北の風に乗り、南の連山をいま襲っているところなのだろう。くわばら、くわばら、最近は鹿屋の市内を走っている車が灰を巻き上げているのをよく目にするようになった。

 くわばら、といえば、25日(月)の午後4時半過ぎの震度4の地震には驚いた。ちょうど市役所の6階にいたのだが、5,6秒の弱い揺れ(と言ってもすぐに地震が来たと分かったが)の後、いきなり大きな横揺れになった。やはり6階という高さのせいで大揺れだったに違いない。(いつでも机の下に潜れるようにしゃがみこんでいた自分にも驚いた・・・)

 ニュースで、南大隅町の佐多へ向かう海岸道路(国道269号)が落石のため一時通行止めになったが、その後は交互通交になったと言っていたが、今度の地震による直接の被害はそれくらいで済んだようだ。深さが50キロと深い場所だったからだろう。

 それにしても今度の地震、起きた場所が佐多岬の真東20キロくらいの所だったが、自分の記憶ではそんな場所で発生したことはなかった(と思う)。

 桜島の活発化といい、今度の地震といい、何かが起きなければいいが、と心配する。

 

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モズが枯れ木に

庭を賑わしていた菊もおおかた枯れたので、午前中、剪定ばさみと刈払い機を使って刈り取った。

 ほぼ終了し、家に入って休憩していると、ガラス戸越しに見える老犬ビータローが、急に鼻をひくつかせ始めた。

 何だろう、と思って見回してみると、いたいた。庭の布団干しにモズが止まっている。22123mozu_001

 ガラス戸に網戸が重なっているので、最悪の写りだが、見つけてから別の部屋にデジカメを取りに行き、撮影のセッティングをするまでの1分もの間、じっと止まっていた。

 そうっと玄関から庭に出てみる。22123mozu_005

 最初の発見者(?)ビータローも小屋から出てきてしまったので、モズは布団干しから飛び立ってしまった。

 邪魔したなビータローめ。22123mozu_002

 刈り取って置いておいた茶色く枯れた菊。

 モズはこの塊の中に虫でも探そうとしていたのだろう。22123mozu_003

 それでも少し経つと、どこかから再び庭にやって来て、合歓の木に止まった。

 最も寒い時期とあって、これ以上なることはできまいと思えるほど丸々としている。

 ずっと昔の人だったら「うまそうだ」と思ったに違いない。(現代の自分でも一瞬、そういう気持ちになったのだが・・・22123mozu_004

 合歓の木の下の桜に降りてきたモズ。なかなか可憐な目をしている。真っ黒の目の周りの隈取がないからメスなのだろう。

 喰うわけにはいくまいな。

(追加:午後3時過ぎに茶を飲んでいると、居間の向こうに、またあのモズのメスが現れた。そっとガラス戸に近づき庭を眺めると、何とメスの止まっている反対側の東の柿の木にオスがいた。しきりにその柿の木と地面とを往復して餌をあさっているところだった)22123mozu2_001

 オスの方は背の色がメスより灰色がかっている。22123mozu2_003

 目の隈取りの濃さはオス特有。――二羽はつがいだったのだ。

 こっちもメスに劣らず丸々としている。餌が豊富なのだろう。

 向こうが「丸子」ならこっちは「丸太郎」だな。

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オオジシンとダイシンサイ

中米のハイチでマグニチュード7.0のオオジシンが発生し、五日目の今日でも、どれほどの人が犠牲になったか分からないという。

 現地の当局者の説では5万人は下らないそうだから、ダイシンサイだ。マグニチュード7.0というのは地震頻発地域ではさほど大きなものではないのだが・・・。

 地震のほとんど起こっていない地域では、「備えあれば、憂いなし」というような格言が通用するはずはない。今度のハイチオオジシンがそれを如実に示した。

 これから確実に発生するであろう「東海・南海地震」に対して、他山の石ならぬ「他国のダイシンサイ」として教訓を与えてくれたと思われる。

 ところで、いま、大地震を「オオジシン」と書き、大震災を「ダイシンサイ」と書いたのには訳がある。

 NHKでも民放でも、地震については大きいものを「オオジシン」と言い、震災については大きいものを「ダイシンサイ」と言っている。地震も震災もどちらも「音(漢字音)読み」なのに、大きい物の表現では、前者は「オオ」と読み、後者は「ダイ」と読むが、その区別はいったい何なんだろう?

 前者の場合、訓で「大」を「おお」と読むのであればすべて訓で通して「おおつちなゐ」とすべきであろう。逆に、そのように訓で読まないのであれば、「大地震」はすべて音読みで「ダイジシン」と読むのが正しいのではないだろうか。

 もし大きい地震を通例のように「オオ・ジシン」と読むとき、では、中ぐらいの地震を「ナカ・ジシン」、小さい地震を「コ・ジシン」と読むだろうか? そうではあるまい。中くらいの地震は「チュウジシン」、小さい地震は「ショウジシン」と読むはずである。

 大中小の区別を加味するのなら、「大地震」は「ダイジシン」と読まなくては一貫性がないことになろう。関係当局の見解やいかん。

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雪山

昨日はその前夜からの雪で平地で1センチばかり積もったが、日中は寒かったにもかかわらず降らなかったので地温でどんどん溶け、午後3時頃までにはおおかた無くなってしまったが、夕方からまた降り始めたのであった。

 今朝7時頃、外に出てみると雪は止んでおり、空はすっかり晴れていたので、昨日は見えなかった南の山々が白く雪に覆われて姿を現していた。気温は0.5℃。22114yukiyama_004

 「雪山」なんて言うのは少々大袈裟だが、ここ南国・鹿屋で周辺の山々が山麓まですっかり白くなるのはめったにお目にかかれない光景だ。

 裏の畑は昨日にまして白い。その向こうに聳えるのは「横尾岳山塊」で、西は錦江湾近くから立ち上がり、東は吾平山陵のある姶良川によって切られるまで約10キロ続く山地である。

 最高峰は今写っている連山の左端で490m、と、ハイキング向きの山々だ。22114yukiyama_001

 西南方のビニールハウスの上方、なだらかに丸くなったピークが山塊の名の由来となった横尾岳で、こちらは高さ426m。ほぼ頂上まで車で行ける。

 山頂にはちょっとした公園があり、そこに県内では珍しく数の多い「ヒゼンマユミ」が自生していて市の指定になっている。22114yukiyama_003

 連山を東側へ追っていく。

 と、御来光が射しはじめた。22114yukiyama_002

 重量感のある山塊だけをアップしてみる。

 雪国!!

 と言いたい所だが、手前の烏の止まっているビニールハウスの積雪量ですぐにばれる。

 この左手の山は「陣ノ岡」(陣ノ尾とも)と言い、戦国末期に肝付氏が頂上に土塁を築き、南から山を越えて来る島津・祢寝(ねじめ)氏連合軍を迎え撃った。

 肝付氏はそのころ16代兼続(かねつぐ=大河ドラマの直江兼続と同じ名だが、肝付兼続のほうが早く生まれている)の時代(1511~1566年)で、肝付氏最後にして最大の勢力を持った英主であった。

 だが、伊作島津家・島津忠良の娘・阿南(おなみ)を輿入れしていたのが災い(と、地元郷土史家で、そう言う人が多い)して、兼続亡き後は、秋の夕日が沈むが如く肝付氏の勢力は凋落の一途をたどり、ついに天正8年(1580)、最大で12万石ほどはあったろうと言われる所領はすべて没収され、阿多の地にわずか12町(200石位か)を与えられて移封させられたのである。

 秀吉が辞世に詠んだ「難波のことも夢のまた夢」ではないが、肝付氏にとっては「大隅のことは夢がうつつか、うつつが夢か」であったろう。

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初雪

鹿児島で4年ぶりに雪が積もった。

6時半に体操のため外に出ると、センサー付き外灯のすぐ下にある金木犀の葉に、雪が積もっていた。22113hatuyukinoniwa_001

 雪はみぞれ状に変わって降り続いていたが、玄関先の温度計を見ると1.5℃と高いので、これ以上積もることはないだろう。

 体操を終え、老犬ビータローに餌をやり、明るくなって来たところで、庭の南へ行き、広がっている畑を眺めた。22113hatuyukinoniwa_002

 一面の銀世界。ビニールハウスも野菜(ねぎ)の加工場も雪に覆われている。

 といっても、せいぜい1センチの厚さしかない。

 それでも4年ぶりの積雪であり、しかも1月の前半にこんなに降ったのは初めてではないかと思う。いつもは1月下旬か2月に入ってからだ。22113hatuyuki2

 仕事で行った先の花岡町の高千穂神社横の広場の雪景色。

 (手前の芝生には雪が無いが、これは写している場所に巨大なクスノキが生えていて、ちょうど傘の役目をしているため)22113hatuyuki

 去年完成したばかりの「高千穂公園」。

 向こうの端にある展望台からは、眼下に古江港を望み、錦江湾の広がりとともに桜島や薩摩半島が見渡せるのだが、今日は雪曇りで、視界は全く無い。

 天気情報によると、今日の最高気温は3℃もなかったという。まるで冷蔵庫の中だ。この寒さは明日まで続くらしい。

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マザコンとゼネコン

鳩山首相の事務所に渡った母親からのマザコンマネー12億円余りは、首相自身の口からはどのような金だったかは語られないまま、贈与税6億円を国税庁に納めてケリがついてしまった。

 あるところには有るもんだよなー、で、報道もそれからは触れることがなくなったが、今度は以前から取り沙汰されていた別のマネーの問題が浮上している。

 小沢一郎民主党幹事長がポンと4億円を出し、都心の高額な土地を買ったが、その資金の正式な記載が無いことで、後ろめたい金ではないかと臆測が飛び交っている。

 そのはるか前に、すでに小沢幹事長の秘書がゼネコンによる不正献金疑惑で逮捕されているので、そちらとの絡みがあるのではないかというわけで、地検が事情聴取を計画しているとも聞く。

 無いわけがない――というのが真相だろうが、事情聴取で一郎自身が否定すればそれはそれでおしまいになる。ましてや国会議員には不逮捕特権というものがあり、聴取は形だけのものになるはずだ。

 それより政党助成金の使途の方が問題だろう。主にゼネコンによる賄賂性の献金を断ち切るために導入された政党助成金はいったいどのように使われているのか。もし余った場合、国庫に返還されるのか。

 おそらく「どうせ返還するのなら使い切ってしまえ」となるに違いない。そうなると税金の無駄遣いもはなはだしいものになる。それとも官庁でよくある「裏金」としてプールされているのだろうか。

 いずれにしてもクリーンなイメージだった民主党が、金にまつわるうす黒い霧に覆われてしまった。あの斬新な「公開事業仕分け」がまだ網膜の奥にこびりついているだけに、残念なことだ。

 しかし期待もまだある。国内問題より、国際問題に新しい時代の扉を開けて欲しい。戦争に敗れてズルズルと引き摺って来たアメリカとの関係を一度清算し、真に日本らしい国際関係を築いて行って貰いたいものだ。

 マザコンとゼネコンとを抱え込んだ民主党にそれができるかどうかだが、あの日本占領時の連合軍司令官マッカーサーも実はマザコンだったらしいから、本人自身の属性と役職上の属性とは必ずしもシンクロしないのかもしれない。

 むしろアメリカにとっては捉えどころのない人物(宇宙人などと言われている)の方が、思い切った国策に打って出られるのではないか、とも期待する。

(マザコンではもう一人の超有名なアメリカ人を思い出した。エジソンだ。エジソンの母は「孟母三遷」よろしくわが子エジソンの特性を見抜き、自ら教育を施した)Koureishadaigaku001_2

 初の宇宙人総理?鳩山由紀夫

 

 

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日の出とビータロー

自宅の庭からは東方に肝属三山(国見岳・黒尊岳・甫余志岳)が屏風のように見える。いつも初日の出は連山の向こうから上がるのだが、今年は元旦からずっと曇り空で、初日の出は見えなかった。

 だが、今日、7日目にしてようやく日の出を望むことができた。22107hinodetobiitarou_001

 曇り空の中、恒例の朝の「1キロダンベル負荷付きラジオ体操」を終え、老犬ビータローに餌を食べさせ、家の中に入ってくつろいでいると、急に南の窓に日が差してきた。

 「やっと日の出だ!」と慌ててデジカメを手に、庭に出る。

 すると肝属連山の稜線の間が切れていて、そこから曙光が差し始めていた。22107hinodetobiitarou_002

 ついに来た!2010年の初日のお出まし。

 ちょうど高圧線鉄塔の真上だった。(鉄塔の右手のなだらかなピークが甫余志岳ーほよしだけ=968mーで、肝属山地の最高峰)

 今年も「家内安全」などと願っておいた。

 と、ビータローはお食事の後、何をしてるんだろー、と怪訝な顔でこっちを見ていた。22107hinodetobiitarou_004

 <初日を浴びたビータロー>

 ビータローも今年で17歳。人間で言えば百歳になる。

 「家内安全」にはお前の安全も含まれているからなっ!

 

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初詣(鹿屋市荒平天神)

謹賀新年!庚寅(かのえ・とら)の年が明けました。

 今日は大晦日に帰省した息子と、昼過ぎに錦江湾沿いの荒平天神へ初詣に行って来た。元旦は生憎の曇り空で一日遅らせて出かけたのだが、予報とは違い、今日もぱっとしない天気だった。22102shougatu_004

 荒平天神は鹿屋市の錦江湾側、高須町と古江町の中間、海岸沿いの小さな島に鎮座する。

 正月2日だが、参拝客は三々五々姿をみせて途切れることがない。22102shougatu_005

 去年の何月だったか、鳥居の改修が行われた際に色も塗りなおされ、すっきりと美しくなった。

 前を行く親子連れが「もう石を投げて鳥居の天辺に上げないんだよ」と言っていた。

 そういえば以前の鳥居の上にはたくさんの石が乗っていた。22102shougatu_006

 砂州を過ぎると急な石段が始まる。

 最後の格別急な石段を、参拝を済ませた小・中学生の親子連れが降りてくる。

 神社は赤い「荒平石」でできた陸係島の頂上にあり、車輪梅やアコウの大木が岩を取り巻く。22102shougatu_007

 (神社前で。北九州の会社に就職の決まった長男)

 神社も塗り替えられたようで、極彩色が派手といえば派手だが、美しいといえば美しい。

 竜宮か弁天堂か、どうもそんな類をイメージさせる色合いだ。「天神島」というより、元は海浜によくある「弁天島」だったのではないか、と思ったりもする。22102shougatu_010

 天神島の北側の入り江から眺めると、向かって右の錦江湾に対して、島はほぼ絶壁だ。

 よくまあそんな頂上に建てたものだが、もしかしたら奄美の有名な神事「平瀬マンカイ」のような神招ぎ(かみおぎ)が、ここでも行われたのではないかとも思えてくる。22102shougatu_009

 そのあたりの詮索はこれからのことにして、とにかく、ここの海水の清さは格別である。22102shougatu_011

 天神島の右横には、薩摩半島の名峰「開聞岳」がその姿を見せているのだが、お分かりだろうか?

 見える人は今年の運勢は「末広がりに良くなる」でしょう。

 とくとご覧下さい。今年もどうか健康でありますように。ブログもホームページ(鴨着く島おおすみ)もヨロシク。

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