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雪山

昨日はその前夜からの雪で平地で1センチばかり積もったが、日中は寒かったにもかかわらず降らなかったので地温でどんどん溶け、午後3時頃までにはおおかた無くなってしまったが、夕方からまた降り始めたのであった。

 今朝7時頃、外に出てみると雪は止んでおり、空はすっかり晴れていたので、昨日は見えなかった南の山々が白く雪に覆われて姿を現していた。気温は0.5℃。22114yukiyama_004

 「雪山」なんて言うのは少々大袈裟だが、ここ南国・鹿屋で周辺の山々が山麓まですっかり白くなるのはめったにお目にかかれない光景だ。

 裏の畑は昨日にまして白い。その向こうに聳えるのは「横尾岳山塊」で、西は錦江湾近くから立ち上がり、東は吾平山陵のある姶良川によって切られるまで約10キロ続く山地である。

 最高峰は今写っている連山の左端で490m、と、ハイキング向きの山々だ。22114yukiyama_001

 西南方のビニールハウスの上方、なだらかに丸くなったピークが山塊の名の由来となった横尾岳で、こちらは高さ426m。ほぼ頂上まで車で行ける。

 山頂にはちょっとした公園があり、そこに県内では珍しく数の多い「ヒゼンマユミ」が自生していて市の指定になっている。22114yukiyama_003

 連山を東側へ追っていく。

 と、御来光が射しはじめた。22114yukiyama_002

 重量感のある山塊だけをアップしてみる。

 雪国!!

 と言いたい所だが、手前の烏の止まっているビニールハウスの積雪量ですぐにばれる。

 この左手の山は「陣ノ岡」(陣ノ尾とも)と言い、戦国末期に肝付氏が頂上に土塁を築き、南から山を越えて来る島津・祢寝(ねじめ)氏連合軍を迎え撃った。

 肝付氏はそのころ16代兼続(かねつぐ=大河ドラマの直江兼続と同じ名だが、肝付兼続のほうが早く生まれている)の時代(1511~1566年)で、肝付氏最後にして最大の勢力を持った英主であった。

 だが、伊作島津家・島津忠良の娘・阿南(おなみ)を輿入れしていたのが災い(と、地元郷土史家で、そう言う人が多い)して、兼続亡き後は、秋の夕日が沈むが如く肝付氏の勢力は凋落の一途をたどり、ついに天正8年(1580)、最大で12万石ほどはあったろうと言われる所領はすべて没収され、阿多の地にわずか12町(200石位か)を与えられて移封させられたのである。

 秀吉が辞世に詠んだ「難波のことも夢のまた夢」ではないが、肝付氏にとっては「大隅のことは夢がうつつか、うつつが夢か」であったろう。

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